Another Way

□弟&妹誕生
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現在の母に逢う。

私が三歳になる直前だったそうです。私は1月生まれだから、丁度年末ですね。その時に父と入籍、私達の母になってくれました。昔も今もスレンダーな体型と、優しい笑顔は変わりません。私の自慢の母です。



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弟 誕生

多分一番古い記憶です。父に肩車され、母の貴重品の入った赤いギンガムチェックのポーチを届けに行きました。当時私は多分滅茶苦茶楽しかっただろうと思います。誰にでも笑い掛けるようになっていたからです。

母の居た部屋は、何故か部屋の真ん中に母のベッドだけが有り、周りが真っ黒に塗られた木の壁だった印象が有ります。未だによく判らないんですけどね。



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『せんせおじちゃん』

祖母の勤めていた開業医のドクターの呼び方です。ちなみに奥さんは『せんせおばちゃん』でした。私は男性は祖父以外総て『とーたん』と言っており、心配した祖母がそう言うように仕向けたようですね。兎に角五歳過ぎる迄よく喋るのに何言ってるのか判らない子だったようです。

この時はっきり喋れたのは
『とーたん』
『じーたん』
『ばーたん』
『ねーね』
……だけだったそうです。『かーたん』はなかなか言えず、五歳半過ぎてやっと言ったそうです。



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保育園と幼稚園

私の時は、時代が古く公立の幼稚園の二年保育は有りませんでした。だから私は保育園一年、幼稚園一年行きました。この時点で私は今も付き合いのある大切な友人と知り合いました。彼女は隣のクラスでしたが、保育園が同じと言う事で凄く仲良くしていましたね。いつも二人でままごとしていた気がします。仮に彼女をOさんとしておきます。



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小学校 入学

ピカピカのランドセル。余り物を買って貰った事の無い私は、喜んで毎日背負い、入学迄に鍵を壊して終ったそうです。

母に連れられて門をくぐりました。多分桜満開だったでしょうね。

小学校生活の中で私はOさんに
「友達にならないか?」
と声を掛けると、彼女は喜んでくれ、今も付き合いのある長い交際がスタートしました。他に友人は二人居ました。MさんとSさん。今はどうして居るんでしょうかね。幸せだと良いのですが……。

Oさんは学校で、担任の先生に
「変な声だ」
と言われてから、学校では失語症のように黙り込んで終いました。私が話し掛けると
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