※愚男x悪男
 嫉妬(病み













掴みかけた腕は細かった。白くて折れそうでアイツに少し似ている腕は、気持ちが悪くて堪らなかった。逃げられないように折れない程度に固く握るべき腕を握ることが出来ずに、声を張り上げた。









なぁに、と疳高い声が言った。金属を弾いたような煩わしさに吐き気がした。


「…、今の男は何だ」
「彼氏だけど?」
「彼氏は古市だろ」


女は微笑って、自らが降りたばかりのバイクの行方をちら、と見て、そしてまた微笑う。視界の端に信号待ちに埋もれた趣味の悪いバイクが見えた。


「そうね。古市くんは彼氏だけど、ソレが何か?」


すっとぼけたような言い方が癇に障った。素知らぬ顔をしつつ如何にも余裕があるのだ、とばかりに首を傾げて見せた仕草も苛ついた。唇を光らせたリップが態とらしい、と思った。


「古市のこと好きじゃねぇくせに」


口内で呟いた情けない言葉を、女は容易く拾い上げて、さも愛らしげに嘲笑った。


「男鹿くんは好きなんだ?古市くん可愛いもんねぇ。そうだね、私も好き」


女が何を言わんとするのかはわからなかったが、間違いなくオレに不快をもたらすことだけはわかっていた。女は厭に艶やかな唇を歪ませて、御愛想よろしく言葉を飾り立てた。


「きっと古市くんも男鹿くんのこと好きだと思うよ、二人結構似合ってるし、イイんじゃない?私はイイと思うなぁ」


人のことを言えた義理ではないが、頭の悪い言い回しだった。逆接の言葉が続くのが容易に想像出来る。案の定、でもさ、と馬鹿な女は言った。


「意味…、違うんじゃないかな?」


優越感をたっぷりと含ませた言葉は想像の範疇で、ありきたりで、それ故にオレの深い所を抉った。血が上りかけた頭を冷やす為に、真横の壁に思い切り拳を叩き付けた。女の肩は臆病に跳ねたが、その後は顔をしかめただけだった。
ただのそこら辺りに散らかる奴等ならば恐れ戦くはずのオレを、目の前の女が恐れない理由をオレは知っている。そこいらの女にだってそうそう手をあげたり等しないが、それ以前に、オレが古市の女には触れることすらしないことを周囲は疾っくに知っていたからだ。この女もまた、ソレを知っているという、それだけのことなのだ。


「男鹿くん、携帯出して」

 
腕を組み、高飛車な態度で女は言う。何の権力を持ってあれだけ態度がデカく出来るのかわからない馬鹿な教員みたいな様は馬鹿が際立つばかりで、哀れな女だ、と思った。哀れまれているのに気付いたのかそうでないのか、不機嫌そうに持ってないの、と更に重ねて尋ねられ、扱いが面倒に思えて素直に差し出した。


「あぁ、予想はついてたけどダメね」


予想がついていたなら出す必要がなかっただろうに、いちいち腹の立つ女だ。理に適っているだけ同じく腹立たしいヒルダはまだまともな奴なのだ、と今更ながらに思った。女は勿体ぶるように言う。


「…、ストラップ、つけてるものじゃない?女の子って」


携帯に無意味にジャラジャラと垂れ下がる飾り等、オレには縁がない。無造作に突っ込んだのだろう女の携帯が視界に入ったが、殊更に飾りの多い奴ではないらしい。オレの視線の行方を探っていた女が呆れたように数じゃないからね、と言った。数じゃないなら、何が問題だというのだろうか、オレにはわからない。


「女の子って不変が嫌なの。欲しくないわけじゃないのよ?ただ、一生モノは一つで十分なの」


昔から長い話は嫌いだった。他人の勝手な御高説には頭が痛くなる。古市もそうだったはずだ。それなのに何故この女と付き合っているのか、オレにはわからない。


「アレも欲しいコレも欲しいは、不変じゃないものだけなの。今を変えてくれる楽しくて可愛いモノが欲しいのよ」


古市くんって素敵よね、と言った女の唇を畳針で縫い止めてやりたい。コイツが口にする度に古市の名前が軽々しく聞こえる。でも、そんなことはしない。古市が悲しむだろうからだ。


「可愛いけど可愛過ぎないで適度に格好良いし、頭も良いし、優しいし、品もなかなか。フリーじゃない時は結構身持ちが固くて真面目だし…、本当に素敵よね」


そう言った女の唇を鋏で裂いてやりたい。コイツが口にする度に古市の存在が軽々しく思われる。でも、そんなことはしない。古市が嫌がるだろうからだ。


「とっても良い「買い物」だったわ」


そう言った女の唇を塞いだら、古市の名残が感じられるだろうか。もし感じられたとしたら、この女を殺していいだろうか。


「古市くんに伝えてもらえる?楽しい時間をありがとう、って」

 
例えば、この女を殺して古市が泣くのだとしたら、オレはこんなクズみたいな女でさえ守るのだろう。古市を好きでも何でもなくて、古市を振り回すだけの殺したい程下らなくて卑しい女にさえ、拳を握り締めるだけなのだろう。


「…、男鹿?」


現実を忠実になぞるだけの思考が、その声で一気に澄んでいった。共に帰るはずのオレが待ち場所にいなくて探しに来てくれたのだろう。古市が何をしているんだ、と尋ねたげに首を傾げていた。女と変わらない仕種が胸を灼いた。
咄嗟に応えるべき言葉が見つからずにいるオレの隣で良かったね、男鹿くん、と明るい声が無駄に響いた。


「古市くん、男鹿くんが探してたんだよ」


女は人の良さそうな笑みを浮かべながら古市に話しかける。古市も「彼女」の言うことに優しく微笑み返している。
それじゃ、また明日ね、と言った、自分は可愛いと主張する笑みで飾り立てていた表情が態とらしく歪んだ。あっ、等と態とらしい声と同時だった。


「男鹿くん、もう少し女の子の気持ちわかるようになろうね?そうしたら、」


古市さえいなければ、続く女の言動を捩じ伏せてやりたかったが、もし古市が今この場にいなくてもオレはただ拳を握り締めるだけなのだろう。


「「あの子」も、少しは振り向いてくれるんじゃない?」


如何にも可愛い女を気取る背中を睨み付けていると負の感情ばかり湧き上がり、無意識に願望が零れた。


「アイツと別れろよ」
「何で?」
「楽しい時間ありがとう、だと」


また余計なことしたんだ、と古市は溜め息を吐いた。確かにまた、だ。それでもそのまた、が許せずに唇を噛み締めた。淡い血の味にほんの少しだけ後悔をした。


「いつも言ってるだろ?オレは知ってるんだって、あの子に他の彼氏いるのもさ」


古市は全て知っていた。付き合うことにした女の話すことは全部覚えて、好みのモノで喜ばせて、女の話さないことも全部知ってて、文句も言わず自由にさせた。雰囲気で大体わかると言いながら得た全てを、わかった事実として認識するだけで野放しにしているのだ。


「別にいいじゃん。その彼氏と別れたら彼氏オレだけになるんだし」
「古市はそんな安くない」
「…、二股かけられたりする必要ない、ってこと?」


古市の柳眉が逆立ち地雷踏んだ、と思った時には遅かった。


「じゃぁ、男鹿もオレと別れたら?」

 
オレが唯一、古市を嫌いだと思うのがコレだ。古市は直ぐにオレと別れると言う。しかもフるのではなく、フラせようとする。オレが出来るわけもないのに何故しないのか、という態度で責める。


「フラフラ、フラフラしてるオレなんか止めて違うもっと真面目でおしとやかな」
「古市、」


オレには古市しかいないのに、古市は相手なら幾らでもいる、と態度で責める。


「ヒルダさんなり女王なり、」
「古市っ、」


付き合うことを了承してくれた際、長く一緒にいたいなら素直に何でも言うこと、と言っていたのは古市だというのに素直になる程オレを責める。


「余計なことして…、スマン」


古市の眼を見るのが怖くて俯いているとはい、と千円札が差し出されたのが視界に入った。それだけで期待して、嬉しくて、古市が大好きだと改めて思うオレは馬鹿かもしれない。


「…、仲直り?」
「ん。じゃぁ先にお前の家行ってるから男鹿とオレとヒルダさんの分…、とベル坊の分でよろしく」
「…、ベル坊はアイス食えねぇぞ?」
「みんな食ってんのに自分だけなかったら嫌だろ?選ぶだけ選ばせてやれよ」


行ってらっしゃい、と背を向けた古市を見送って、オレは走り出した。























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