「、古市?」


喉が吊ったように声が掠れた。そんな驚愕一色のオレを無視して古市は片太腿に跨ってくる。跨ったせいで裾が捲れ上がり、とても男のものとは思えない綺麗な脚が付け根の方から丸見えになり、思わず唾液を飲み下した。
身長は殆ど変わらないはずだが、古市の華奢な手足はすらりと伸びて女のようであり、しかし男の身体特有の薄い皮膚の下の筋肉の動きが艶めかしい。襦袢って昔の下着だよな、古市下着穿いてんのか、と必要ではない心配までするくらいには動揺していた。

無言のまま首に巻き付いてくる腕の動きは恐ろしく緩慢で、酷く焦れったい。腕の動きと共に近付いてくる身体のラインを嫌でも意識してしまう。直ぐ目の前までやって来た、少し長めの髪から覗く首筋に歯を立ててやりたいと思った。
抱き付いた格好のまま背骨に沿って淡い力加減でゆるゆると、しかし淀みなく指を這わされ、脈が一気に跳ねる。何やってんだ、と止めさせようと開きかけた口にもう一本の腕が伸び、静止を促す細い人指し指が当てられた。それから昔からお気に入りの琥珀色の瞳に甘やかに覗き込まれる。これは卑怯じゃないだろうか。声帯はすっかりおとなしくなり、心臓だけが煩く騒ぎ立てる。男はオレが静かになったことを確認すると、いい子、とでも言うように唇に弧を描く。微かに覗く舌の赤さに目眩がした。

男の綺麗な、些か骨張った指が自らの首筋を緩く辿った後、きっちりと閉じた着物の合わせ目に引っ掛かった。つぅ、と気怠げになぞるだけで下に降りていく。蝶々結びになっていたのだろう銀の帯紐が音を鳴かせて解け、床にしゅるりと蜷局を巻いた。同時に、白地に銀糸で華があしらわれた帯がやや緩んだが腰元に居座る。流れのままに帯の内側に仕舞い込まれた指が白い紐を二本、一緒くたに引き出した。着物の構造やら着方やらがわからないオレには何の紐なのかわからないが、味気ない様から察するに、おそらく形を整える為の紐だとかそんな感じだ。それだけのちっぽけな役割の紐が今この時は内側を暴く象徴にさえ見えて、解かれていく様に興奮を覚える。縒れた紐が外され、帯に掛かる。
無意識に詰めていた息を不自然でない程度に吐き出せば、視線を感じ、眼を合わす。琥珀の瞳は悪戯っぽく微笑み、オレの熱を更に上げていく。指先がまた帯を伝い、合わせ目へと緩慢に戻って行く様を、後追いの子のように目で追う。
 
合わせ目に指先が添えられ、じんわりと刻をかけ、襟元が引き上げられるようにして緩められた。鎖骨が見え隠れする程度だ。露骨に素肌を露わにしているわけではないのだが、見せつけるように首筋から鎖骨までを鈍く滑り落ちた指先が僅かに襟元を開いて見せる様は、どうにも艶っぽくて堪らない。
常の学生服のシャツではなく和服、上から一つずつボタンを外していく、等という動作がない分焦らす所など重ねて着込んでいる点だけのように思うのだが、何故こうも焦らされているのか。聴覚を侵す無駄に響くベルトや装飾品を取り外す音もないのに、耳は微かな音に交じる艶を拾いたがる。黒と赤と白に流れる銀は確かに煽られる色合いかもしれないが、ありふれた組み合わせで、ここまで視覚を奪われたことなどなかったはずだ。
安物だろうに新調されたばかりなのか汚れの一つとしてない、緩められた白い布地と赤い布地の下から覗いた鎖骨が厭に情欲を駆り立てる。その下を辿っても女とは違う扁平な胸が覗くだけだとわかっている。わかっていても尚、見たいと思うオレが異常なのか、この部屋に立ち込めた現実感のない空気が異常なのか、霞がかった思考ではわからない。

ただ、けして女のような円みのある身体じゃないことが、一層女の着物に味を持たせているように感じ、目が惹き付けられる。見えない背中のなだらかな白さと、微かに浮き出る背骨を瞬時に妄想させる。それでも尚早く脱げ、とすら思わなかった。気だけが逸り胸が期待に灼ける。
加速した期待を煽るように、脚が絡み、腕が絡み、身体が密着する。この部屋は安っぽい作りの割に空調が利いていて、殊更熱くも寒くもない。しかし目の前の肌理の細かい肌は薄らと汗ばんだような吸い付きがある。そこはやはり若さなんだろうか。

そこまで考えて思考が言ったり来たりで一歩も進んでいないことに気付き、意識を逸らそうと部屋の内装に視線を移す。とりあえず落ち着きたい。身体に溜まり始めた熱から解放されたい。そう思っての行為も部屋中に蔓延した騒がしいピンクのライトや、煩わしい自身の鼓動への苛立ちで意味を全く成さない。今尚続く微かな衣擦れが耳について離れない。

そっと、下肢へと伸びる指。
下降した指先が跨る腿をやんわりと撫でてくる。軽く力を入れて揉み解すように、やがてゆっくりと力が抜かれる。繰り返される単調な動きを行う右手、それを無視した左手の指は自らの既に捲れ上がった裾へと伸びる。晒された白い腿を置き去りに腰骨の形まで見せ付けようというのか更に上へと徐々に捲り上げられ、緩慢過ぎて上がりきらない裾から、まだまだ見えもしない恥骨のラインを想像して一気に全身の神経が尖った。最早、先への期待に溺れる雄だ。

たかだか男の、しかも見知った奴の脱衣だ。片思いの相手の脱衣は当然みたいと思ったのは事実だが、この男とはただ見知っているに止まらず幼なじみという関係にある。脱衣なんて何度も見ている。プールで半裸所か、一緒に風呂に入って全裸も見たことがある。
なのに今、間違いなく脱いで晒すというだけの動作に魅せられ、焦らされている。確実に膨らむ期待が愚かしいまでの性欲を叫んでいる。理性って何だっけ。所詮一匹の雄に過ぎないという結果は良かったのか悪かったのか、もう考えたくもない。

いや、ここまで熱中しておいて難ではあるが、別に男の身体に興奮する性癖は持ち合わせていない。この店に来た刻からは自身は何も変わってはいないのだ。この男の身体というだけで夢中になれる。唯一の性欲の発露が起こる。純粋に見たい、と思える。欲求が沸き上がる。下腹部に伸びた手に期待が高まる。それだけが答えだ。













が、後少しで全てが見られるという興奮と期待は、古市の無邪気そうな笑い声で終わりを告げた。


「引いてんなよ、冗談だろ?男鹿の真顔怖ぇって」


ご機嫌っぽく笑って脚から降りた古市には、下手な脱衣を見せた悪戯失敗への照れが見えて年相応といった可愛げだけがある。先程までとは最早別人だ。
真顔が怖い、と言った古市にはそう見えていたのだろうし、確かにそうだったのかもしれない。しかし、両手が拘束されていなければ服を剥ぐくらいはやったかもしれない。一歩間違えば、玩具みたいな手錠を壊してソファーに押し倒すくらいはやらかした気がする。それ程、オレにニヤケている余裕がなかったというだけだ。


「…、古市」
「んー?」
「軽く教わったって言ったよな?」
「うん、マジ怖かったぞ?アランドロンに似てるだけでヤバいのに口紅が真っ赤でやんの」
「ソレはいいとして、軽くってどんな?」

 
疑いたくもなる。極度の緊張を強いられ、うずうずと熱が帯びた身体に、拷問のようだと思っていた全ては見上げた壁時計の時間にして十五分強だ。唐突な出逢いに戸惑い、無言を貫いたり言い訳をしたりの約二十分を足して三十分弱、個室での一人当たりの営業時間は四十分だ。この時間配分は有り得ない。意図的と疑って然るべき所だろう。古市にそんなことが出来るとは思えないから、入れ知恵の確率が高い。
古市は先程までとは全く違う、豪快、と言えばいいのか普通の着替えをしながら、そんな問いを呆れ半分に笑い飛ばした。


「お生憎様、何もされてねぇよ。「落とすように脱ぐのと滑らすように脱ぐのは好みが別れる所だから、出来るだけ見極めろ」とか「焦らしは必須だけど何回も重ねると態とらしくて萎えるから溜める感じで」とか言われただけ」
「そんだけ?」
「あと「若いんだからってガンガン脱いだりビクビク脱いだりしないで、時間調節しろ」だったかな?素人のバイトにムチャ言うなよな」


よく考えてみれば、古市は脚に乗っかって上と脚を少しはだけただけだ。女じゃないんだから、上半身と脚をはだけるくらい何ともないはずだ。しかもはだけた内にも入らない鎖骨を見せた程度、見せ物としての脱衣には全くなっていない。古市のしたこと等、ただのコスプレ披露に色を付ける程度のちょっとしたサービスといったところだろうか。成る程、文字にしてみればただの可愛い悪戯に違いない。恥じらって鎖骨を見せた程度で十五分というのも、軽く教わっただけの素人芸になるかも危うい所というわけで、本来ならば値段に見合わぬ見せ物だったようだ。
けろっとした態度にも変な所は全くない。つまり、そういうことだ。


「…、古市」
「んー?」
「オレ、」


それでも、素質だけなら充分過ぎるんじゃないだろうか。片思いを差し引いても、アレで素人はない。有り得ない。


「お前の将来が心配になってきた」


はっ、と阿呆な声と共に首を傾げた古市には艶っぽさ等皆無で、着替えかけた学生服が似合っていたことに安心したのは、誰にも言わないでおこう。






















 

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