※石矢魔捏造
 古市+千秋(男古前提+烈怒帝瑠













冷えて澄んだ空気は、身体に溜まった熱を和らげる。それは水中から眺める斜光に似ている。





完璧に外と内とを区切る窓硝子等、数える程しかない校舎は肌寒い。居場所に出来るような教室も数える程しかない。当然ながら、まともな授業だって数える程しかない。
殆どのモノが両の手で数え足りてしまうこの学校が、古市には酷くつまらなかった。


「だからってコレはないわよね?」
「そうですか?」


そう棘のある声をたてたのは烈怒帝瑠幹部で二年生、大森寧々であり、その隣では烈怒帝瑠総長で二年生、通称女王、邦枝葵が溜め息を洩らした。そのすこぶる悪過ぎる待遇に爽やかな笑顔で応えたのは凡人、古市貴之、その人である。


「そうですか、じゃないわよ。まったくセンセーもよく許したわね」
「日頃の行いが良かったみたいで」
「ここじゃ普通にしてれば大概よく見えるんだから当然でしょ」
「ですよねぇ。所でお二人は谷村さんに会いにきたんですか?やっぱり仲良いんですね」
「えぇ、まぁ、って話そらしてんじゃないわよっ」


古市の常と変わらない暢気な態度に声を荒げる寧々を片手で制止し、邦枝は比較的普段通りの穏やかな声音で切り出した。


「男子生徒の一人が不穏な動きを見せたって連絡が回ってきてね。しかも千秋の教室だっていうじゃない、…それで様子を見に来たのよ」
「はぁ、喧嘩か何かですか?また男鹿がやらかしたんですかね?」
「…男鹿辰巳がやらかさないとは言わないけど、明らかに君でしょ」
「はぁ?オレですか?」


古市は女子棟にいても何ら問題にならないような大きな瞳を見開いて、きょとんとしている。その様に寧々は青筋を浮かべるが、邦枝には古市が本当にふざけているのかどうかがわからなかった。



私立石矢魔高等学校はあまり認識されていないが共学であり、またそれ故に女子棟と男子棟に分かれている。一般的な学校ならば、それ故に、という部分に疑問を持つことだろう。しかし全校生徒が不良だと噂される学校における、学校側からの最低限の配慮である、と言えば粗方察して頂けるのではないだろうか。
実際の所、同じ不良でも男子生徒と女子生徒には大きな違いがあった。女子生徒の殆どは烈怒帝瑠の構成員であり、遠征に欠かさず参加しているが、遠征以外ではまともに授業を受けている。男子生徒は幾つかの派閥に属しているか、数人の群れになっているだけで授業には出ず、派閥争いと出席数を稼ぐ為に登校しているに過ぎない。男子生徒の中で授業を欠かさずまともに受けている者は全学年を足して片手に余り、気が向けば出席する生徒も数に合わせて漸く両の手を超える程度にしかならない。学校側の配慮は的を射ているのである。
ただ、その殆どいないまともな男子生徒には困った環境だとも言えた。まともな男子生徒等は小学校に入学する前の子どもにも数えられる程度の人数なので、学校側が配慮するということは当然なく、そういう生徒は大概、通信教育か自習をして高校教育に見合う学力を得ていた。大学を希望する者の勉強等、一般的な参考書で十分と言わんばかりのあまりの態度だが、前述した通りの環境を考えれば石矢魔に入学した時点で仕方がないというものだ。
邦枝も、その辺の事情を知らぬわけではない。知らぬわけではないのだが、目の前の状況を理解し、受け入れることとは別だ、と思った。


「普通は女子生徒の教室に男子生徒が一人混じっていたら気になるでしょう?」
「この学校って普通じゃないんで色々と難しいですよね」
「どういう意味かしら?」


他人事のような態度に今度こそはからかっているのか、と言いたげな邦枝に、古市は困ったように眉尻を下げて微笑った。一見すると好青年に見えてしまうのだからたちが悪い、とは思いつつ邦枝も寧々も口には出さなかった。その人当たりの良い、愛らしい微笑みを浮かべる青年の外見と中身が必ずしも統一されてはいないこともまた薄らと気付いていたからだ。


「ほら、オレ喧嘩しないでしょう?だから他の野郎共と違って派閥争いやら何やらに興味ないし、だけど入学したからには卒業しなきゃですし、そうなると出席日数はしっかり確保しておかなくちゃいけないもんですから」
「?、そんなのは自分の教室で済む話じゃない」


古市が続けた話をひとまず静かに聞いていた邦枝だが、女子棟に馴染もうとする奇天烈を説明するには値しないと切り捨てる。それに対し古市は予想していたというように、好青年ぶった笑みを崩さず、更に続けた。

 
「いやいや、入学して二、三週間はよかったんですよ?一年坊なんて上級生に目付けられないように比較的おとなしくしてましたし。でも、男鹿が有名になったせいで上級生が絶えず喧嘩を売りに来るわけです。そうしたら弱い一年生は廊下の民になるしかなくてですね、教室は上級生の溜まり場に、とそういうことです」
「…、だから?」


そう結論を促した邦枝と、隣に控える寧々は同じく怪訝な表情をしていたが、自分で机を運び入れたに違いない古市の席の隣に座する千秋は常と変わらぬ無の容だった。


「それで、センセイに授業受けたいんですが、って言ったら、烈怒帝瑠の一年幹部である谷村さんの教室を紹介されました」


微笑みと共に稀有な銀髪がさらりと揺れた。千秋は何処までも無表情に溜め息を一つ洩らし、そういうことです、という眼差しをもって先輩二人を見上げる。見上げられた先輩方は教師の旨を察しながらも、それでいいのか、これだから男は、といったような若干贔屓目が見え隠れする非難の色を浮かべた。


「確かに君より千秋の方が強いだろうし、この教室には千秋だけじゃなくメンバーは揃ってるから問題がないと言えばないわ。それでも有り得ないでしょ。何より、君にプライドはないのかしら?」


片眉を釣り上げた邦枝の心境は、複雑としか言いようがない。この学校における理屈も外聞も理解して尚、納得には至らないのである。邦枝は何処までも平穏を愛し、更に付け加えるのであれば弱い男が嫌いだった。古市の言動、引いては存在さえも邦枝の忌み嫌う所業でしかない。


「プライドですか?人並みになら、ありますよ」
「弱いから大丈夫、なんて理由で女子生徒の教室をあてがわれておいて?」


食えない笑顔に苛立ちが募り、まくし立てるが、古市はえぇ、と頷いただけだった。


「プライドがあるから、女の子に無闇に手を出さないでいられるんです」


そのありふれた余裕と言動は大いに邦枝の不評を買った。


「本気を出せば、君のが強いって言ってるのかしら?」
「まさかっ、」


暴力は嫌いです、と穏やかな声が続いて響き、淡い視線が綻ぶ。邦枝が戸惑ったのは言うまでもない。その言動は弱者が発するにはあまりに自然に無様であるにもかかわらず、あまりに不自然に沈黙を翳していたからだ。


「女の子のテリトリーを傷付けない、って意味です」

 
その瞳はあまりに、真っ直ぐな眼差しを携えていたのだ。読み取る空気に不穏はなく、古市の言葉に偽りがないであろうことを感じながらも身構えてしまうのは、邦枝という強者を前にした弱者として、あまりに不自然だからである。
どう処理すべきか、と眉間に皺を寄せた邦枝が次の句を発しようとした瞬間、不意に遠慮のない声が響いた。











「古市っ、たく、こんなトコいやがった」

今や石矢魔で知らぬ者はいないだろう一年坊、男鹿辰巳である。
普段と変わりはないはずの男子高校生が学校内において赤ん坊を背負っている光景は、シュールとしか表現しようがない。当人が気にしていない以上、周囲も殊更に何を言うということはないが非常に奇妙な光景である。意図せず刻が止まった場を打ち壊したのは、また違う意味でもって遠慮のない古市のヒルダさんいねぇの、という脈絡のない言葉が洩れたためだ。


「男鹿辰巳っ、アナタまで女子棟に来るなんてやっぱり何かあるんでしょうっ?」


案の定、真っ先に反応したのは邦枝だ。そんな邦枝を今更に視界に入れた男鹿は子どものようにわかりやすく首を傾げる。


「んあ?ここ一年の教室じゃなかったか?お前ら一年だったのか?」
「違うわよっ。べ、別に一年生じゃないと一年校舎にいちゃいけないってことはないでしょっ」
「…、葵姐さん」


端から見ると茶番でしかない男鹿の逸脱した鈍感さ、邦枝の不明確な恋慕、寧々の苦労性、千秋の我関せずの言動はそれぞれに、いっそ清々しいものがある。しかし、男鹿には自身の目的以外のこと等、全くもって一切気にしたことではない。


「ま、いいや。古市戻るぞ」
「なんで?」


古市の所謂空気ぶりも普段通りではあったが、男鹿の空気を一切読まない姿勢が群を抜いていた。不変の真理を語るが如くに胸を張り、淀みなく答えが発せられる。



「お前がいないと昼飯食えないだろ」























[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ