「なに?財布忘れたの?貸さないけど」
「忘れてきてたらコンビニなんか寄ってこねぇよ」


途中参加の男鹿が話の流れを理解しているわけもないのだが、今するべき話題か、と心中でツッコミをいれる邦枝、寧々の目の前では安っぽいビニール袋が明らかに目の死んだ古市によって叩かれ、ガサガサと鳴いた。


「知るか。じゃ、世話手伝えってか?」
「いや、ベル坊寝てるし」
「じゃぁ、なんだよ?」
「じゃぁ、なんだよ、ってなんだよ?」
「お前が昼飯食うのにオレいなくてもいいじゃん」
「馬鹿か、お前は。ベル坊は寝てるわ、お前はいないわじゃ、一人で昼飯食うことになるだろうが。察しろ、アホ市」
「一人で昼飯も食えねぇのか、バカ男鹿」
「オレは平気だけど、お前がダメなんだろ?ただでさえ空気なのに一人で昼飯食ってみろ、友達いないヤツだと思われるぞ。一巻の寂し過ぎる昼飯を思い出せ」
「世界観を崩壊させるような発言は控えろ。まず明らかにオレの役目だし…、それから、その台詞もそっくり返してやるよ」
「なんでだよ?お前の話してんだろ、アホか」
「はぁ?お前が言ったんだろ?魔王と…、あぁ、もう。わかったわかった、行くぞバカ男鹿」
「誰がバカだ、シバくぞ」


小気味が良い程の会話のやり取りに呆気にとられ、傍観していた邦枝、寧々に失礼します、と古市は笑顔で声を掛けた。


「…、変なの」
「まったくですね」


去りゆく青年二名の背中を些か残念そうに眺める邦枝と、不可解だと言わんばかりの寧々とは別の思いを抱いていた者がいたとは、誰が知れる所であろう。



祭りの出店、金魚すくい。
目蓋の裏で赤が翻る。



千秋は、呼吸が上手く出来ない可憐な金魚に手を伸ばす感覚を思い出していた。不良でさえも珍しい銀髪が煌めく鱗を思わせたのかもしれない。夏の終わりに溶けていく、寂しさや愛おしさに似ているとさえ思われていた。
谷村千秋は多くを語らない少女だった。
そして、古市貴之に自己を見ていた。周囲の誰一人として、そんな千秋の戸惑える心情を理解する者はいない。その事実を千秋自身が他人に語るべきではないと思い、元々多くを語らず沈黙する唇を更に固く、固く閉ざしているからだ。
弱い自分、
手慣れた四丁拳銃、
呑み込まれる本音。
古市貴之もまた女人のように非力な存在であり、自己の志があるのであれば、その信念の為に闘うのであれば、武器を手にしなくてはならない存在のはずだ。しかし古市は武器を持たず、軽々しく開く口は余計な言葉で埋もれていた。かと言って、言葉を武器にしている様子もない。
ただ忠実なる理性と本能の狭間で弱き身体を護ることも、武器を手にすることもせずに沈黙している。守にも攻にも徹することなく、信念の灯る瞳で眼差すのだ。
敬愛する邦枝や寧々のように、また愚かなる男諸君のように、認める認めない、では推し量れずにいたのだ。鏡を見ながらにして、自己を認めない弱さを千秋はけして許しはしなかった。自己の肖像と思うからこそ、武器を手にしない古市が受け入れられなかった。理解が出来なかった。


心は清くなくてはならなくとも、武装しなければ消えていくしかないと知らないの。美談に目を瞑った途端に、短剣を手放した人魚姫は愚かでしかないでしょう


自己の肖像でありながら武器を手にしない古市という存在に何れ尋ねてみたいその言葉を口にすることは何時だって躊躇われ、千秋の無口な性質に呑まれて、水泡のように静かに消える。













光は射しても波間の揺れ等感じない。流れに身を任せることしか許されない。自ら変化を求めること等許されない。永遠に揺蕩う不変の流れ。
そんな水底に古市はいた。何時から覚えていたのか、とうに傍観者としての性質が、その身に深く根を張っているのである。干渉も感傷も己には必要がないのだろうと思っている。ただ、身を這う流れのままに、冷えた孤独の水底で遠く輝く光の淡い欠片に晒されながら、そっと願うだけだ。


何時か凡庸な日々、その不変に色を添える光がありますように。その光で満たした水槽に沈んで全てが終わりますように


望みが叶うならば飼われることすら厭わない、そう思える程に、古市の心は何時も死に絶えていた。不自由を対価に愛を求める古市の歪な心はあまりに幼かった。
けして今日までの日々を愛されずに育ったわけではなかった。両親も、年の離れた妹も、クラスメートにも愛された方だ。自分は恵まれている、と古市自身感じていた。ただ甘えたモノの言い方をするならば、些か愛され過ぎたのかもしれない。無償の温かい愛を受ければ受ける程、古市は良い子になるべく心を殺してしまった。賢い古市はそれがあまりにも贅沢な、過ぎた行為であることを自覚し、更に心を殺していった。あまりに不器用であっただけなのかもしれない。


腹減った、等と物欲を淡々と口にする男の背中を見て、そこにいる裸の赤ん坊の、男の背にしがみつく小さな手を見た。
男鹿を悪魔と称した周囲と、暴れオーガと称した古市の間に差はないと誰もが思う所だろうが、畏怖と憧憬を一括りにするのは乱暴過ぎるだろう。男鹿の強さに対する古市の思いには畏怖の念は僅かで、憧憬の念が殆どを占めていた。その強さで圧死させてくれたならば、そしてその強き腕を柩にして身体を灼き尽くしてくれたならば、と何度も何度も願った。古市の志や信念は、あまりに静かに停滞していた。何らかの術でもって育むべき言動の根底を支えるものが志や信念だとするならば、古市のソレは最早冷えて停滞しており、願望へとすり替わっていた。


「…男鹿、手離して」
「イヤだ、離したら、アイツ等と飯食うだろ、古市くんは」
「、んなことない」


古市の不変からの脱却と共に、不変に与えられる不変を望むこと等は口にしようものならば、男鹿は一笑に付すだろう。さもなければ男ならテメェでどうにかしろ、と言い放つだろう。古市自身、自らの女々しさには気付いていた上、それを全面的に良しとしているわけではない。
しかし、同い年で全国的にも有名なレディースの幹部である少女が四丁拳銃を扱うと聞いて、古市は笑ってしまったのだ。勿論、少女を嘲笑ったわけではない。強きを貫く少女を敬愛しながらも、光の、男鹿の存在に殺されたいと願う心に一欠片の変化ももたらせることが適わない自身にであった。


「諦めたから付いて来たんだろ。昼はちゃんと男鹿とベル坊と食うよ」
「じゃぁ、手離す必要ねぇだろ。目的地が一緒なんだから」
「…、熱いんだよ」
「あ?」

 
少女の、谷村千秋の強さは古市の願望とは間逆に位置している、古市はそう考えていた。千秋が邦枝という光の為に、同じく身を捧げる寧々と共に行う全ては真っ直ぐな生への欲求であり、古市が男鹿という光の為に行う全ては歪んだ死への欲求なのだと、古市は認識している。無償の愛の為に死に絶えた心を支えに代償のある愛を求める古市は死への欲求のままに身を捧げている。火傷では済まない、強い光に溺れたいのだ。身を焦がし、灰と為す熱い光に溢れた水槽を柩にしたいと願い続けている。


「知らねぇの?魚には人間の体温は熱過ぎるんだ、直ぐに火傷するんだぞ」
「お前人間だろ」
「魚なんだって」
「人間だって」
「魚なの」


あまりに哀れに達観していた幼い古市が出会い、信じた光に古市自身が未だ惑っている。それは古市自身の死への欲求に溢れた脆弱かつ頑なな心のせいでも、古市が求めた光の歪さが故の均衡が保たれていないせいでもあった。


「じゃ、お前は人魚姫か?」
「男鹿の発想キモい」
「なんだと、お前が魚だって言い張るから間を取ってやったんだろ」
「オレを思うなら引いてくれ。それで、今すぐ手を離してくれ」
「譲歩してやったのに態度がデカいぞ、古市のくせに」
「態度がデカいのはお前だろ、何様のつもりだ」
「男鹿辰巳様。だから、オレはオレのしたいようにするぞ」
「何だそりゃ、馬鹿男鹿」
「だからよ、」


男鹿が古市の望むただただ強い光だったならば、古市は愛しい光との同調を求め、生への欲求と共に武器を手にしたのかもしれない。しかし、男鹿辰巳は強い光でありながら必ずしも生に溢れた光ではなかった。不変を嫌い、強きと交える生への闘争心は一片たりとも古市には向けられず、いっそ古市にはあらゆる不変を求めていた。
永遠等人間には存在しない。それでも尚、古市自身の幼き日の願望は根を張り、伐採を望んだ光の手によって今日まで生き長らえてしまっている。


「古市も古市のしたいようにすりゃいいさ。男鹿様の下僕だからな、少しは権限を分けてやろう」


不変を変える不変を、そう願って、出来もしない永遠を同じく望む傍若無人な男の力強い手を握り返す。





上る階段、目指す屋上、本日は晴天なり。









永遠に飼い殺されて、人魚姫





















 

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