「なあテツ、お前どう思う?」
「─っえ?」


机の上に頬杖をついて窓を眺めていたら、不意にそう問いかけられてはっとした。
あまりに呆け過ぎてまるで会話について来ていない俺を咎めるように、クラスメイトが「先生。」と繋ぐ。


「ああ…あの物理の」
「そ!今年で二年目らしいんだけどさ、俺マジ好みなんだよ!」
「…へー……」


長髪の友人が興奮した調子で言う。
俺はもう一度西校舎の屋上を見上げた。

転入先の私立高校には、なんだか少女漫画みたいな印象を受けた。
制服が可愛いと評判の共学校で、男女ともに見た目の偏差値が高いだとか言われているらしい。
まぁ当の本人達としては決して不服ではない評価だと思うけど、一度ここを部外者の視線で見ている俺からすると、
ただ単にその噂を広めている沢山の誰かが見たこの学校の生徒が、偶々レベルの高い人物だったってだけじゃないかと思う。
家柄で生徒を集めているわけでもない、学力も良く言って上の下レベルこの至って普通の私立高校の中に、美男美女ばかりがそうそう並ぶわけもない。
美形もいればそうでないのも勿論いる。
結局五分五分の割合な気がするのだが、そんな根も葉もないような噂が流れているあたりが、少女漫画チックだなぁと感じた理由の一つだ。


「簡単なアイドルなんかよりよっぽど可愛くね?あんなんがいるなんてかなりラッキー」
「まぁ目の保養にはなるよな」


朝から元気なその声に適当に相槌を打って、そうだ今日は一時間目から拝めるのか、と友人の上機嫌さの理由を悟る。

男子生徒の中で、肝心の女子生徒を凌ぎ断トツの人気を保持しているその女教師は、確かに誰もが振り返るくらいの美貌の持ち主だ。
身長は大体160センチ前後、バストはDカップはあるとみた。教師にしては明るすぎるくらいの長めのボブヘアーに、鮮やかなスカーフがよく映えている。
聖職者というよりグラビアアイドルの肩書の方が似合いそうだ。
担当教科が意外にも物理という、そこがまた"ギャップ萌"なのかもしれない。
発情期真っ只中の男子生徒達を誘惑する膝丈のタイトスカートは、もはや確信犯としか思えない。


「でさ、結局お前どう思うよ?」
「どうって…だから目の保養になるって」
「だーもうじゃなくて!噂だよ、う・わ・さ!」
「噂ぁ?」


できの悪い子どもを相手にするような強めの口調で詰め寄ってくるロン毛野郎に、クエスチョンマークしか浮かばなかった。
思い当たることもないので素直に教えを乞うた俺に彼が小声で聞かせたのは、実に馬鹿馬鹿しい話だった。


「…お前、アホなん?そんなことあるわけないやん」
「や、マジだって!確かな情報なんだよ!極秘のな」
「どのルートから来てるんか知らんけどお前に回ってる時点で極秘じゃないし、しかも極秘なんやったら噂にはならんやろ」


まあ、俺はその噂自体知らなかったわけだが(だって転校生だモン)。


「俺の情報網なめんなって!」
「別にお前自体を疑うわけじゃないけどさぁ、普通に考えてみ?おかしいやろ」


俺の机に乗り上げて鼻息を荒げているロン毛の無駄に高いテンションにうんざりして、付き合いきれずに携帯を開いた。
新着メールは3件。全員女の子。一人は彼女。
俺はモテる。


「お前ら夢見過ぎ。屋上で頼んだらキスさせてくれる女教師とか。夢っつーか、AVの見過ぎ」






* * *






その日の放課後、彼女の部活が終わるのを図書室で待っていた。
寒いくらいに冷房が利いている部屋の隅のテーブルに、適当な参考書を開いて時間を潰す。
教員の許可がないと入れない面倒なシステムの図書室だが、教室だと煩いし、何よりここには今お気に入りの先輩が出入りする。
ちなみに転入してから3人目の今の彼女はテニス部所属の1年生で、絵に描いたような清楚系だ。
お気に入りの先輩は美術部所属の2年生。
こちらは少し不思議系だが黒ぶち眼鏡の奥の目がとても綺麗で見惚れてしまう。画集を借りに頻繁に図書室を利用している。
たまに見せてくれる柔らかい笑顔が、堪らなくかわいい。


執拗に復縁を迫ってくる元カノへの返信メールを作成していると、静かな部屋に人の気配が混じった。
不自然なくらい小さな扉の音に耳を澄ませ、意中の人物でないことを確認する。

この香水は先輩じゃないな。

しかし悲しきかな女性に敏感な俺は、その人物を一目見ようと顔を上げた。


「先生、」


思った以上に大きく響いた声に驚いた様子もなく、AVじょゆ…じゃない、物理の教師が、ゆっくりと俺の方を見た。
今朝の授業ではかけていなかった、金縁の眼鏡がきらりと光る。


「城野先生を見なかった」


必要なことだけを淡々と並べる抑揚がなさすぎるその台詞には疑問符が見当たらない。
どんだけ愛想なしだ、と呆れながら、さあ、と首を傾げた。

あいつが話した"あの噂"が頭を過ぎる。
別に、信じてるわけじゃないけど。


「そうか。ありがとう」


ありがとう感も全くない声は綺麗によく通り、それを紡いだ赤い唇はすぐに閉じられた。
普段授業に関することでしか滅多に口を開かないこの女。
表情を隠すさらりとした癖のない髪を眺めていると、好奇心がみるみる湧き上がってきた。

すらりとした脚、引き締まったヒップライン、折れそうに細い腰、豊満な胸。
俺は女に冒険するタイプじゃないし教師だなんて今まで特別興味は無かったが、この抜群のプロポーションを前にして、しかも二人きりで、気持ちが昂らない男はいないだろう。
さっさと踵を返そうとする先生を引き留めようと咄嗟に出た台詞は、よりにもよって色んな順序を無視していた。


「─噂!」
「……噂?」


先生が俺を振り返る。
言ったことを後悔するより先に、ああ、自分で思っている以上に、俺はあの噂に気を惹かれているのだと納得した。
眉一つ動かさない人形みたいに整った顔。
その顔は普段どんな表情を見せるのか。歪むことがあるのか。乱れることがあるのか。
次々に膨らんでいく良からぬ感情が、失言を寧ろ好機に変える。


「屋上のウワサ、知ってますか?先生」


見定めるように、先生は何も答えず俺を見ている。
炎天下で部活に励む彼女たちの声がさっきよりずっと遠くに聞こえる。
携帯を置き、立ち上がり、近づく。

嗅ぎ馴れない香水に頭がくらくらした。
3つめまで開けられたカッターシャツのボタンの隙間から、マシュマロみたいに真っ白で柔らかそうな胸の谷間が見える。
ぐっと喉に力が入って、こみ上げる先を急ぎたい欲求を抑えた。

そんな俺を見上げる先生の目が、ほんの僅かだけ、挑発的に光った気がした。


「俺にも、キスしてくれる?」
「それはその時に答えるよ」


先生は限界まで距離を縮めて、無表情のまま囁いた。
その言葉が呪いみたいに脳内を木霊して、再び不自然なくらい静かに図書室の扉を開けた先生の後ろ姿を、ただ黙って見送った。






















つづいてしまいました。
→アトガキ


らびゅん



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