小説

□逆さまの物語
1ページ/8ページ

【1】

 苗央(ナオ)は胡于(コウ)に対して答えた。その言葉の意味を、今ならちゃんと理解できるから。
「やっぱり苗央なんて大嫌いだ」
 胡于のその言葉に対して、苗央はふわりと微笑んだ。
「うん……僕もだよ」
 2人の心が通じ合った瞬間だった。
 胡于の言葉は愛情の裏返し。乱暴で不器用な胡于だから。胡于は最後まで胡于のままだった。それが苗央にとっては嬉しかった。
 ばいばい。2度と会うことはできない人。
 そうして苗央は、胡于に対して初めて嘘の言葉を告げた。嘘にするべき、逆さまの言葉を言った。
 明日になれば、苗央は別の町へと引っ越してしまうから。
 夕焼けが2人の少年を照らし出す。こんな時間に会ったのは、もしかしたら初めてになるのかもしれない。待ち合わせをしていたわけではないけれど、苗央と胡于はいつもは夜に会っていた。
 今日は普段より早くこの場所に着いた。町の外れの丘の上。桜の木が立つこの場所に。夕日が町を赤く染めていた。苗央は桜の木へと登った。
 最初は登ることができなかった。けれども最近になってようやく登れるようになった。苗央は運動が苦手だったけれど、胡于のお陰でこの桜の木を登れるようになっていた。
 桜の木に登って、両足を枝へと引っ掛ける。そのまま頭を垂れ下げる。逆さまの体勢で町を見る。町が頭上で空が下。町を見上げる感覚は、新鮮で不思議なものだった。
 町は夕日で赤黒い陰に落ちていた。まばらに道を歩く人が見える。みんな忙しなく先を急ぐ。もうすぐ今日が終わってしまう。夕日はそれを告げていた。
 多くの人は家路を急いでいる。けれどもそんな中、この丘に向かって歩いてくる人物の姿があった。
 小柄で短髪、生意気そうに不貞腐れた表情。小柄とはいえ、苗央より10センチほどは背が高い。そのせいだろうか。もしくは鋭い目つきのせいだろうか。人を寄せつけ難い雰囲気を携えている。
 それは間違いなく胡于の姿だった。いつもは夜にやってくるのに。それとも何かが2人をこの時間に結びつけたのだろうか。
 苗央は逆さまに胡于を見た。苗央の髪の毛は地面に向かって逆立っている。逆さまの胡于は腕を組み、ムッとした表情で言葉を放った。
「1人で木に登ってんじゃねぇよ」
 苗央はえへへと笑ってみせる。胡于は更に不機嫌になる。
「お前なんて木から落ちちゃえばいいんだ」


 
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ