小説
□ゆれる小舟とお月さま
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【1】
それから僕たちは、イルカの群れに別れを告げた。短い間だったけど、一緒に旅をしたイルカのあの子は少しだけ寂しそうだった。ぱしゃんと小さく、尾びれで水面を叩いていた。僕たちへのサヨナラの挨拶だった。
「行っちゃったね」
遠ざかるイルカたちを眺めながら、僕はキミへと語りかけた。
「また、ふたりきりだね」
キミは返事をする代わりに、大きく伸びやかな欠伸をした。それを見た僕は微笑んで、柔らかなキミに肩を寄せて身体を預けた。
空を見上げると、暖かい日差しと青空が広がっていた。雲は殆どないけれど、散らされたように、所どころに白い模様を作っている。
なーんにもない。空と海以外、なんにもない。太陽の布団に包まれて、波が奏でる音楽に耳を傾ける。その中にあるのは、僕とキミとのふたりだけ。それから僕たちを乗せている、とても小さな舟だけだった。
ちゃぷちゃぷと、波がぶつかる音がした。舟が海の上を、いつもと変わらずに漂っている。それが僕たちの生活の全てだった。
何もしない。毎日キミと寄り添って、肩を並べて、寄せ合って。太陽が昇るのを見て、流れる雲を目で追って。赤く染まる水面を見つめて、夜空の星を眺めるんだ。それだけで僕は満たされていた。だって、キミと一緒なんだから。
(なぁ)
不意にキミは、僕を呼んだ。心に訴えかけてくるような、耳では聞けない不思議な声で。
(そろそろ、お腹空かないか)
ちょっぴり生意気なキミの口調は、何故だか僕を安心させる。小さく顎を引きながら、尖ったキミの耳に指を滑らせた。
僕は両手で海水をすくって、キミの前へと差し出した。キミはざらついたピンクの舌で、掌の海水をぴちゃぴちゃと舐める。
「くすぐったいよ」
恥ずかしそうに僕が笑うと、キミは怒ったように顔を背けた。それから海に口を突っ込んで、直に海水をゴクゴクと飲んだ。
「あーあ。嫌われちゃった」
そんな憎まれ口もいつものことで、僕も海水を飲み始めた。これが僕たちのご飯だった。時々は流れてきた海藻を食べることもある。毎日海水ばかりだと飽きちゃうから。海水はしょっぱいけれど、慣れればそれほど気にならなかった。