小説

□crystal sound
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【21】

 あるじは哀しく微笑んだ。ベルの底を私の方へと向けた。
 そこには何も存在していなかった。本来、ベルなら響かせるための振り子がついている。その振り子が、あるじのベルには存在していなかった。水晶のベルは、ただの水晶の塊だった。
「お前は今まで、本当にベルの音が聞こえていたのか?」
 あるじは私に問うてきた。こんなにも近くにいるはずなのに、遠い。
「……私は確かに、今までベルの音を聞いてあるじの為に尽くしてきました」
 この先が怖い。踏み込んではいけない。進んではいけない。そういう領域まで、今の私は入り込んでしまっている。
「……あるじが水晶のベルを鳴らしたら、その音を頼りにして、私はすぐに駆けつけていました」
「振り子がなくて、鳴らないベルなのに?」
 それでも私は耳にしていた。いつだって澄んだベルの音を頼りにして、あるじの元を訪れていた。
「こんなに揺すっても、1音も響かないベルなのに?」
 あるじは私に近づいてくる。あるじが1歩1歩近づく度に、私たちは離れ離れになっていく。
「俺は1度だって、このベルでお前を呼んだことなんてないのに?」
 あるじの顔が目の前にある。淡褐色の瞳に私が映っている。それでもそこに、私の心は映っていない。
「げんちょう」
 私はひと言、呟いていた。意識なんてしていない。口が勝手に動いていた。まるであるじに操られたかのようだった。


 
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