小説

□crystal sound
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【23】

 私の失態に、あるじがお咎めを下さなかったことがあった。洗濯の間で白いビー玉を窓から落としてしまった、あの日。落ちたビー玉を拾おうと、窓から身を乗り出して外に落ちてしまった。その時ついた芝生が払い落とし切れていなくて、それをあるじに見られてしまった。
 やっぱりあるじは、気づいていたんだ。
「違います、あれは……」
「うるさい!」
 空気が鋭く震えて刺さる。あるじが感情を剥き出しに、白い体躯をわななかせた。声を荒げるあるじを前に、私はどうしたらいいかわからなくなった。
「何が違うんだ。実際お前は外に出ていたじゃないか。あの日からだろう、俺が呼ぶのが聞こえなくなったのは。ベルの音が聞こえづらくなったのは。お前は俺の言いつけを守って1度も外に出なかった。でも1度外に出てしまったことで、隠れていた願望が現れ始めたんだ。俺から、この屋敷から逃げ出したいという欲求が、日に日に大きく膨らんでいただろう」
 あるじは一気に捲し立てた。我を失い、溜めこんでいた毒を全部吐き出してしまうかのように。
「結局、水晶のベルの音なんて聞こえなくなった。聞こえていたはずの心でお前を呼ぶ声が、今じゃ聞こえなくなっている。そうだろう? そういう事実があるというのに、それでもお前は、俺から心が離れていないと言えるのか?」
 心は離れていないと言える。私はあるじの傍に居たい。それを願っているけれど、実際、ベルの音は聞こえない。だから私は、素直に返事ができなかった。
「私は……」
「お前はただ、自分の居場所が必要なだけだろう」
 言葉を失ってしまった。そうなのだろうか。頭は必死に否定の言葉を生み出している。生み出し続ける。けれど言葉は意味を成さずに、記号と化して零れ抜ける。
「お前に新しい居場所を与えてやる」
 あるじは静かに言い放ち、片腕を高々と持ち上げた。その手の先には、水晶のベル。
「この屋敷から、解放してやるよ……ッ!」
 ……ッ、シャァァァァッ……。
 あるじの手から離れたベルは、壁に弾けて散り散りになった。


 
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