小説

□PRIVATE TEACHER 5
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【2】

 名前を呼ばれて、壇上まで歩いていく。校長先生から証書を受け取り、再び自分の席へと戻っていく。椅子に座って、手にしている証書を丸めて握り締めた。そこでやっと、高校を卒業するという実感が湧いてきた。
 外には灰色の雲が立ち込めていて、冬の寒さが残っている。卒業式の象徴である桜が咲くには、まだまだ時間がかかりそう。体育館の中ではストーブを焚いているけど、頭がぼーっとするだけで、手足の先はずっと凍えたままだった。
「早く終わらないかなぁ」
 パイプ椅子の後ろから、親友のとっくんが耳元で囁いた。とっくんは後ろの席で、小さく欠伸を1つした。
「ねぇ」
 僕は短く相槌を返して、すぐに視線を前へと戻す。僕がとっくんに話しかけようとすると、後ろに顔を傾けることになっちゃうから。先生にばれないように、ちょっとだけ気を遣う必要があった。
「卒業生、起立」
 司会の先生の声が響くと、僕たちは一斉に立ち上がった。その瞬間だけ、体育館が僅かに揺れた。気がした。
 音楽の先生が壇上に現れて、ゆったりとしたメロディが聞こえてきた。この合唱が終わると、もうすぐ卒業式も終わる。眠気を体内から追い出すように、ふっと短く息を吐いた。
「あーおーげーばー、とーおーとーしー……」
 女子生徒の高音と、男子生徒の低音が耳に心地よい。僕自身は歌わずに、傍聴者の1人となっていた。そしてその歌詞を、丁寧に胸の中へと落とし込んでいく。
 仰げば、尊し。我が師の恩。
 僕の場合、それに当て嵌まる人物はたった1人しかいなかった。学校の先生じゃない。それは家庭教師の先生。しかも、ずっと前にお世話になった人だった。
 武井陽介。僕が「陽にぃ」と呼んでいた人。陽にぃとの思い出が、次から次へと浮かんでくる。
 楽しかった日々。喧嘩したときもあった。慰めてくれるときもあった。嫌いになりそうな瞬間もあった。それでもやっぱり、嫌いになんてなれなかった。……今はもう、僕の傍にはいないのだけれど。
「なぁ、純」
 みんなの歌声を掻き分けるようにして、とっくんの小声が僕の耳に届いた。
「陽介のこと、今でもまだ覚えているか?」
「うん」
 あまり後ろを向けない僕は、短く答えることしかできない。でも本当は、当たり前だよと続けたかった。だってついさっきまで、陽にぃと過ごした日々を思い返していたのだから。
 僕が返事をしたら、とっくんは「そっか」とため息を吐いた。


 
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