拙作、小説

□愛せない存在を消す方法
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   回想1

 ある初夏の日、私は息子の殺害を決意した。
 私の家族は現在のところ三人しかいない(もうすぐ二人になる予定だが)。
 夫とはもう何年も前に別れて、二人の息子を私は引き取った。
 私は専業主婦で収入はないが、父が資産家なので金には不自由しない。
 子供の頃は父を嫌ったものだが、今は逆に好きだ。父がいなければ、私は息子を引き取って養うことができなかった。それどころか私自身、生きていけなかったかもしれない。
 とにかく父には感謝している。
「パパ」と呼んであげたっていい。

 私は一番上の息子、ケンジを溺愛している。
 あの男との結婚生活における、唯一の成功がケンジだろう。あの男との結婚生活は、ほぼ百パーセント失敗だった。
 お見合い結婚だったわけだが、彼は最初のうち──ことに見合いの時は、とても誠実な、いい男だった。
 顔は二枚目とは言えなかったが、何か惹かれるものがあったのは確かだ。父の選んだ男ということで何となく抵抗を感じていたのだが、いつのまにか恋に落ちていた。
 あの頃はそれが運命なのだと頑なに信じたものだった。
 父が連れてきただけあって経済力は十二分にあったし、結婚には何の問題もなさそうだった。
「早く身を固めておいた方がいい」という父の忠告はいささか気にくわなかったが、見合いから約一ヶ月後、私たちは結婚した。
 私は十九、彼は二十五だった。
 結婚してすぐ彼の態度が変わった、というわけではなかった。変化は分からないほどゆっくりと、しかし確実に起こっていった。
 結婚して約一年後、私は二十歳でケンジを産んだ。
 その頃はまだ夫は優しく、妊娠中はよく世話をしてくれた。産まれてからも、子供の世話──オムツを替えたりミルクを与えたり、もよくやってくれた。
 教育にも熱心で、「この子は世界一良い子になるように育てよう!」と意気込んでいた。私もそのつもりだったので、二人で徹底した教育をした。ただし、あまりに過剰な教育は人格に悪影響を及ぼす原因になると、どこかの医者が言っていたので、あくまでほどほどに教育した。
 習い事はピアノのみに絞り、できるだけ家庭での教育を優先した。最初はいろいろなことにチャレンジさせ、興味をひいたものにのみスポットをあてて教え込んだ。
 無論、めいっぱいの愛情も注いだ。
 結果、ケンジは本当によくできた子供に成長した。スポーツはやや苦手だったが勉強はよくできたし、何より真面目に育ってくれた。反抗期もなく、「あなたの息子さんは本当によくできたお子さんね」とよく言われた。私と夫は、ケンジに精一杯の愛情を注いだ。
 しかし今思えばそれがよくなかった。
 私たち夫婦は、ケンジが産まれた数年後に次男を授かったが、ケンジを愛するあまり、子育てがおろそかになっていた。
 そうでなくても夫は段々とよそよそしくなっていて、私たち夫婦の会話のほとんどがケンジのことについてだった。
 次男が育つにつれて、夫の態度が冷たいものに変わっていった。いつのまにかケンジに対する愛情もなくなってしまったようだった。一度、「あなたはケンジを愛してないの?」と問うたとき夫は、「僕は会社で忙しくてケンジと遊んでやれない。その点、キミはケンジとずっと一緒にいて、ケンジを独り占めにしているようだ」と言った。あくまでも仕事のせいにしたいらしかったが、仕事が休みのときでもケンジと話すらしなかった。そして、私たち夫婦の愛もとうの昔に冷めきっていた。ケンジが産まれていなかったら、もっと早くに別れていただろう。
 次男が五歳になる頃、夫はとうとう離婚を切りだし、私はそれに承諾した。私は離婚の条件に、二人の息子を引き取ることを挙げた。次男にはさして愛を感じていなかったが、ケンジの弟だし良い子に育つだろうと思ったのだった。
「いいよ」夫は即座に承諾した。息子には未練がなかったのだろう。
 もちろん、私にも。
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