拙作、小説
□ピンポンだっしゅ
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日記
7月1日。晴れ。
暑い夏の日だった。
娘は今日ようやく、九歳になった。小学三年生だ。
娘――華代は今、艶やかな長い黒髪を乱して、ベッドで無邪気に眠っている。
妻はいない。
華代が生まれてすぐ、離婚したのだ。
私は生まれたばかりの娘を引き取り、妻には息子二人をくれてやった。
妻が「息子を引き取らせてほしい」と言い出したのは好都合だった。
なにせ、私はもとより息子など要らなかったのだから。
私があいつと結婚したのはほとんど、娘がほしかっただけ、だった。
ただそれだけのために、私はお見合いのときから「真面目な男」を演じつづけ、よもや十年余りも妻をだましつづけたのだ。
あいつと結婚したのは、無論、彼女を愛したからだった。
しかしたぶん、それは本当の愛ではなかったのだろう。
たしかに私は彼女に本気で恋をし、やがて結婚した。
しかし時が経つにつれて、彼女はゆっくりと、しかし確実に年老いていき、私の恋心は急速に冷めてしまった。
そんなことは、結婚する前から分かっていたことだ。
私は彼女が好きだったが、それは若いころの彼女であって、年老いた彼女では決してないのだ。
私という人間は、情けないほどに美しいものにしか興味がなかった。
それまで溺愛していたものでも、少しでもきずがつけば「いらないもの」になってしまう。
妥協できないのだ。
私は美意識という限られた中でのみ、完璧主義者だった。
そして、私の美意識は多少、変だった。
いや、女性に対する美意識、という一点でのみ狂っていた。
私は幼い頃、同年代にしか興味がなかった。
幼稚園や小学校低学年のころ、周りの友人たちの中には「先生」に憧れる者が多かった。
大人の魅力なんて、これっぽっちも分かっちゃいないくせに、このころはみんなマセガキになるのだ。
しかし私は全くそういうことはなかった。大人という生物に興味など持たなかった。
それは中学生になっても同じだった。
中学校のころから、私は同い年の女の子よりも小学生とかそういう年下の女の子が好きだった。
一概に「好き」と言ってしまうと語弊があるかもしれない。
何というのだろう。
一般によく言われる「異性として意識する」というのとは少々違う気がする。
たしかに私が「好き」だと感じるのは皆、異性ではあった。
しかし、別に邪な妄想をしたりはしないのだ。
私はただ、少女特有の無邪気さや華やかさといったものに、癒しを感じていただけなのだ。
父親が娘を想う感情に似ているように思う。
私が自分の異常に気づいたのは、高校に入ってからのことだった。
それまで好きだった同級生を、急に嫌悪し始めたのだ。
この感情の変化に、私は自分で驚いた。
――あんなに好きだった彼女のことを、自分は今、嫌悪している……。
ショックだった。
その子に対する感情こそ、「愛」なのだと信じていたからだ。
その子を一生幸せにしたい、といった感情すらあった。
それがあまりにも突然に、一変してしまったのだ。
私は自分の心を疑った。
しかしいくら自分に問いただしてみても、それが嘘の感情だとは判断できなかった。
それどころか、彼女に対する嫌悪は、日に日に増していった。
私が彼女の顔を見るのも嫌だと感じるようになったころ、幸いにも彼女は転校していった。
本当に幸いだったと思う。
もしもあのまま彼女が私の生活に関わりつづけていたら、私は彼女を殺してしまっていたかもしれない。
そう考えてしまうほどに、彼女への嫌悪は日ごとに着実に膨らんでいたのだ。
彼女が私の目の前から消えた日。私は歓喜した。
それまで溜まっていたイライラが、全て吹き飛んだ。
まるで水が蒸発してしまったように、跡形もなく。