拙作、小説
□ピンポンだっしゅ
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異常はそれだけではなかった。
私はそのころ、女子高生というもの全てに興味を失っていた。
それだけじゃない。
高校生以上の年代、全ての女性に興味を持てなくなってしまったのだ。
それとは逆に、中学生以下――特に小学生や園児への魅力が一層強くなった。
というより、少女しか愛せなくなったと言ってしまったほうが良いかもしれない。
私はある一定以上発育してしまった女性を、女性として見られなくなってしまったのだ。
これは世間でいうロリコンとは、やはり一線を画しているように思う。
先にも述べたように、「異性として意識する」というのとは違っていたからだ。
美意識という問題に立ち戻るなら、私は少女にしか美を感じなかった、ということになる。
自分のそうした性質に気づいたとき、私は焦った。
この国では、中学生とは結婚できない。
つまり私は、一生結婚できない、独身男になるしかないと考えたのだ。
このことは恥ずかしくて誰にも言っていないが、もし相談していたら、笑われていただろう。
しかし笑い事ではないのだ。私は本気で悩んでいたのだから。
だからだろうか。
妻とはじめて出会ったとき――はじめての出会いがお見合いというのは微妙かもしれないが――、私は「運命だ」と思った。
私はそのとき(二十五歳になる)まで、ただの一度も大人の女性を好きにならなかったのだ。
それは奇跡と言っても過言ではなかった。
私は実に八年ものあいだ、誰一人愛せずに過ごしたのだ。
年頃の男が――だ。
これがどれほどの苦痛だったか、誰にも分からないだろう。
ともかくそのような絶望のなかで、彼女――妻が現れた。
妻は最初のお見合いのとき、もうすでに十九歳だったが、私は一目惚れした。
このひとなら……このひとなら結婚できるかもしれない――と思った。
私はすぐにでも結婚したかったが、慎重に一ヶ月待った。
幸運なことに、彼女も私のことを愛してくれた。
彼女しかいない。
私は確信をもってそう思った。
しかし同時に、この恋がすぐに終わりを告げるだろうことも分かっていた。
彼女はたしかに美しかった。
しかしどうしても年は取る。きずがつく。
そして私は例によって、彼女を「いらないもの」だと判断するのだ。
結局は彼女も、消耗品にすぎない。
お見合いから結婚までの約一ヶ月。
私は、どうすれば愛する存在を絶えず確保できるか、ということを必死で考えた。
愛というものを知ってしまったそのときの私は、やっとの思いでつかんだ愛を、手放したくなかった。愛のない生活を、何よりも恐れたのだ。
そして私は、愛する存在を維持するための簡単な計画を思いついた。
いや、人生設計と言ってしまったほうがよいかもしれない。
私の立てた人生プランは、つまりこうだった。
まず、私の唯一の愛せる存在である彼女と結婚する。
そして、彼女に娘を産ませる。
すぐに彼女と別れて、娘を育てる。
彼女の娘だから、きっと、愛せる存在だろう。
私は娘を愛し、また娘を産ませる。
産まれた娘(孫ということになるのか?)をまた育てる。また愛する。
……それの繰り返し。
このプランを思いついたとき、私は歓喜した。
これで私は、誰も愛せないという恐怖を味合わなくてよくなる、と思ったのだ。