拙作、小説
□男女ショート[全6作]
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「雨と傘と」
雨が降っていた。
僕は傘がなくて雨宿り、というありがちな状況に立っていた。
空はおやつの時間だというのに、厚い雲に覆われていて暗かった。街は灰色に染まり、陰鬱な雰囲気を漂わせていた。
それはどこにでもある、よくある風景だった。
日本には四季があって、雨が適度に降る。だから、雨が降るのは日常的なんだ。ぜんぜん、特別なことじゃないんだ。
僕はバス停にいた。
時刻表の向かいにベンチがあって、その真上には屋根がある。僕はベンチの横につっ立って、やまない雨をただ見つめていた。
人通りはいやに少ない。辺りを見回してみても、傘が二つ三つ見えるくらいだ。
静かだった。目の前の道路にはほとんど車が走っていなくて、水しぶきの散る音もしない。ただ雨の音がしんしんと響いているだけだった。
しとしと。雨はそんな感じの音を立てていた。激しい雨が不快な音を立てるのではなく、かといって細かい霧のような雨が音もなく降るのでもない。音は聞こえるんだけど不快ではない。そんな感じ。
はじめに感じた陰鬱な雰囲気はいつのまにか霧散し、今はただ心が澄み渡るように穏やかだった。雨の音が軽やかに鼓膜を打って心地よい。灰色に染まった街が静かに沈黙し、僕の心をそっとしておいてくれている。
静寂は僕の心を包み込み、無心であることを許した。
僕は世界に沈んでいた。
世界の中に埋没していた。
世界は僕を受け入れ、やさしい腕で、僕を包んでいた。
いったいどれほどの時間が過ぎたのだろうか。
ふと気がつくと目の前にバスが止まっていた。どこにでもある、普通のバス。
しかし降りてきた人物は、決して普通ではなかった。
少女がたった一人。
バスから降りた。
一瞬進みかけた時間がふたたび止まってしまったような、そんな感覚。止まった時のなかで、彼女はたしかに動いていた。
バスの出口が閉まって、ようやく時が再開する。バスはなにごともなかったように、去っていった。
バス停に、少女が一人残された。しかしそこには先客がいて、雨宿りをしている。
僕は動かなかった。いや、動けなかったのかもしれない。
少女は傘を持っていた。黒くて、大きな傘。
その傘を、少女は僕に差し出した。
僕はごく当たり前のように受け取る。
そしてその傘を広げて、少女の隣りに立つ。
僕は歩みはじめた。
少女も歩みはじめる。
僕たちはそうして、二人で街を歩いた。
バス停だけがそこに残った。