セレウコス朝シリア:RTW

□アンティオコス王の巻
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 アレクサンドロス大王。
 マケドニアに生まれ、ギリシアを制覇し、僅かな兵を率いて強大なペルシア帝国を征服した。その征服はほとんどファンタジー小説かと思われるほどであり、なんと遥かインドまで軍を進めた。
 死の床で旗下の将軍達に後継者は誰にと問われ、「・・・最も強い者に」と答えたのは有名な話で、その「最も強い者」を決める為に諸将は40年以上も戦争をしたのである。
 挙句に帝国は完全に分解し、アンティゴノス朝マケドニア王国、プトレマイオス朝エジプト王国、そしてセレウコス朝シリア王国のヘレニズム三王国が成立した。
 
 大王の死後40年以上に亘って続いたディアドゴイ(後継者)戦争、二度に亘る対エジプト戦争でセレウコス朝シリア王国は貧しかった。唯一王都であるアンティオキアが都市として成立している位である。
 アンティオコス王は、建国の父であり亡き父王の遺志を継ぎ大王の帝国を再統一しようと望みつつも果たせず、逆にシリアと同様に大王の遺産であるプトレマイオス朝エジプト王国との戦争に敗れ、パレスチナの地を失ってしまっていた。

『・・・理想は死んでいない。いつの日か帝国を再統一してやる。アレクサンドロス大王の東征を再び!』

〜海外情勢〜
 エジプト王国、ギリシア都市同盟、オリエント系のポントス王国、パルティア王国と外交関係を結ぶことに成功、地図情報と貿易権を取得した。
 
 シリア王国としては東部国境、対パルティア国境を安定させたかった。北のポントス、アルメニアなり南のエジプトなり、西のギリシアのいずれと争うことになっても後背の東部から攻め込まれる事態は避けたかったからである。
 ゆえに仮想敵国はパルティア王国、というのが第一戦略目標であった。そのためにしなければならないことは対パルティア戦に踏み切った場合に周辺国から攻撃されないことである。
 豊かなエジプトからの攻撃だけは取り合えず避けたかったので同盟を申し込んだが、先方より拒否された。

 紀元前268年 ポントス=エジプト同盟成立。
・・・彼らの意図は不明。しかしながら我がシリアを南北に挟んでの同盟成立は、対シリアを意識しての事としてしか考えられない。対抗上ポントス、エジプトと利害が対立しそうな国との同盟を締結したいところであったが、事態の進展は早くどこの国家とも同盟を結ぶのに躊躇せざる得ない状況となった。

 紀元前267年 カルタゴ×ヌミディア開戦。
 紀元前266年 ローマ×カルタゴ開戦。同年、マケドニア=トラキア同盟成立。

 対ポントス。同盟先としてはギリシア都市同盟が考えられるが・・・マケドニア王国という強国と対峙している上、カルタゴ×ローマ戦争の主要戦場シチリアにシラクサという領土を抱えている点からいずれこの戦争に参戦するであろう。
 つまり・・・対ポントス戦に参加してくれる見込みがない。それどころか下手に同盟を結ぶとマケドニアやトラキアと交戦状態に入りかねないのである。
 『訳の分からない戦争に巻き込まれるのは絶対に避けねば・・・。単独で戦う方がまだマシ。』

 対エジプトという点から考えるとその西側に位置するヌミディア王国、カルタゴとの同盟がいいのだが肝心の彼ら自身が戦争に突入してしまい、なまじ同盟を結ぶとオヂデント(西方)の戦争に巻き込まれる怖れが大。かつ、いざエジプトとの開戦時には軍を送ってくれる余裕はまずない。
 しかし・・・・巻き込まれ戦争はイヤだが、戦後の事態を考えると・・・
 恐らく、ローマ共和国、ヌミディア王国を敵に回したカルタゴは滅ぶ。両国がより強力になれば、エジプトと激突する可能性はある・・・・
 遠い国だが外交官の派遣を決めた。
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