セレウコス朝シリア:RTW

□アリスタルコス王の巻
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紀元前266年 アンティオコス王の崩御に伴い、王太子アリスタルコスが44歳で即位。長男クレイトスが王太子に叙せられる。
 イオニア州にて山賊発生。
 アルメニア王国、我が国に対して宣戦布告。アッシリア州に侵攻。
 ローマ・カルタゴ開戦。

 王太子アリスタルコスはシリア東部のバビロニア長官を勤めていたが、コイノス将軍に長官職を譲り王都アンティオキアに向かっている最中、アンティオコス王の崩御の知らせを受けた。
 国王崩御の影響は大きかったらしく、従前から領内に移動し不穏な動きを示していたアルメニア軍が新国王アリスタルコスを襲撃。王はからくも危機を脱しアッシリア州ハトラに逃れた。この襲撃事件をきっかけにアルメニア王国は我が国に対し宣戦布告してきた。

「い、いきなり襲撃か!?戦死するトコだったわ!!ともかく軍と合流しないと・・・
パルミラ包囲軍は包囲を解いて北上。王と合流せよ。」

 王国西部に山賊あり、国内の治安が急速に悪化しつつ現状を踏まえ、アルメニアの侵攻は痛かった。こちらの対応としては、一戦してこれを破り、その戦果を持って停戦に持ち込む。同時に対アルメニア国境線の交通要所に要塞を築いて防衛線を整備することとした。
 アルメニア軍を撃破することも大事だが、防衛線を築かないとその後も敵軍が侵入し、際限なく戦闘を続けることになってしまうからである。

紀元前265年 アリスタルコス王、1万8千の兵を率いアッシリアにてアルメニア軍4千と交戦。
 バビロニア、シリア両州に山賊発生。
 トラキア・ダキア開戦。

 バビロニア、シリアでの山賊の発生の結果、国土の三分の二で山賊、反乱軍の跳梁が見られる有様となった。そんな中、アリスタルコス王はアッシリア州にてアルメニア軍と交戦し勝利したが・・・。
戦闘は惨憺たる結果であった。鈍重な市民長槍兵や農民兵が主力な為、アルメニア弓騎兵のスピードについてゆけず、敵軍とほぼ同数の友軍騎兵が縦横無人に駆け回って何とか勝利に持ち込めたものの、戦場の死者はほとんどがシリア兵。その風景はどちらが勝者なのか分からないほどであった。
 シリア軍の戦死者が1万4千人に対して、アルメニア軍は2千騎。騎兵戦力の充実及び投槍騎兵の弱さを課題として残した。

紀元前264年 シリア・アルメニア戦争停戦。(アルメニア戦役266〜264)
 エジプト王国、我が国に対し宣戦布告。コエレ・シリア州に侵攻しダマスクスを包囲。
 アリスタルコス王、アッシリア州にて山賊討伐。
 コイノス将軍、キリキア州にて反乱軍に襲撃され戦死。享年34歳。
 第二王子ゼウクシス成人。
 ギリシア・マケドニア開戦。
 スペイン・カルタゴ開戦。

 世界が次第に戦火に包まれる中、先の戦闘の戦果を持ってアルメニアとの停戦に漕ぎ付けた矢先、今度はエジプトが我が国に宣戦しダマスクスを包囲した。
 対アルメニア防衛線の建設は始まったばかり。コイノス将軍の戦死といい、エジプトの侵攻といい『内憂外患』状態に陥った。
 しかしアルメニア防衛線の建設を中途で放棄する訳にはいかなかった。国土の移動にやたら時間がかかる現状では軍を右往左往させる余裕はないからである。なまじダマスクス救援に駆けつけても、軍が去った後アルメニア軍が再度侵攻するかもしれず、一つずつ国境防衛を固めていく方が得策と判断したからである。
 
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