マイナー武将列伝

□田疇 字・子泰(169〜214)
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シナリオ1・劉虞陣営・将軍
シナリオ2・在野
シナリオ3・曹操陣営・副将
攻撃74 防御66 機動56
魅力74 知力70 政治64
 
 
さてさて今回は鈴楓さんのリクエストにお答えして田疇ですが、電柱とか殿中とかけた駄洒落にしか使えない武将と思ってませんか? 
実は結構すごいんですよ奥さん!
右北平郡無終の生まれで若い頃より書物をよく読み、撃剣の使い手でもあった。おまけに高潔をもって知られた人物なので、評判を聞いた軍閥からも引く手数多。しかしそんな中で主君として選んだのは聖人君子として知られた幽州牧・劉虞だった。
この劉虞という人物が、漢の宗室(広い意味での皇族)にして公明正大、人望厚く頭脳明晰、人当たりも良く幽州牧という権力まで持ち、烏丸・鮮卑などの北方異民族まで心服させていたと、全てに於いて完璧であった。
完璧ゆえに、当時、董卓が長安で皇帝を押さえていたのに対抗する為、袁紹等によって『劉虞さんを皇帝に推戴しようキャンペーン』が展開された。
劉虞自身にはそんな野心は無くいい迷惑だが、まわりはしつこい。
そこで劉虞は、中央の朝廷に対し反抗の意志が無い事を伝える使者を派遣しなければならない。
その使者は弁舌が立ち、人物が立派で尚且つ敵中を通過する為、胆力と機知を備えた人物でなければならない。そして選ばれたのが当時22歳の田疇だった。
公式の使者として車騎を連ねていけば、袁紹に捕捉されると考えた田疇は、目立たぬ様個人の旅を装い、異民族が跋扈する塞外の地を通過。田疇は見事使者の役目を果たした。この時田疇は朝廷より騎都尉に任じられているが固辞している。 
しかし長安からの帰途に主君・劉虞の訃報に接する。劉虞は北平大守・公孫サンによって殺害された。
ようやく帰り着いた田疇は、すぐさま劉虞の墓前へ向かい、朝廷からの答書を読み上げ涙を流した。
短気な公孫サンは烈火の如く怒り、田疇を処刑しようとするが、とりなす人が多く彼を釈放した。
 
その後は一族の者を引きつれ、故郷の近く徐無山の山奥で暮らし始めるが、やがて近隣で戦火に追われた流民が、田疇の名を慕って徐無山を訪れ、その数は五千軒にものぼったという。
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