マイナー武将列伝

□陳登 字・元龍(生没年不詳)
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シナリオ1・陶謙陣営・将軍
シナリオ2・曹操陣営・将軍
シナリオ3・曹操陣営・将軍
攻撃76 防御67 機動69
魅力72 知力78 政治83
 
 
何故か陶謙系が続きますが、構わず陳登です
さながら、陶謙陣営はマイナーの宝庫ですね
 
それはともかく、三国時代には隠れた名将が多く、今回の陳登もマイナーに甘んじるには惜しい人物です。 
徐州・広陵郡の人で、はじめ陶謙に仕えるが、思慮深く文学的才能に秀で、オマケに地元の名門の御曹司という勝ち組っぷりな為、25歳の時に東陽県の県長に推薦される。
その後も典農校尉など昇進を続け、陶謙死後は劉備、さらに呂布に仕える。
父・陳珪共々、呂布から全幅の信頼を得るが、その裏では、許都の曹操のもとへ使者として赴いた際『呂布は武勇はあるが無計画で、軽々しく人についたり離れたりする者ゆえ、早く滅ぼすべき』とそそのかし、広陵の太守に任命されスパイ契約を結ぶ。
呂布陣営内では、呂布と袁術の連携を未然に防ぐ等、内部を撹乱し、曹操の徐州侵攻が開始されるとその先鋒となり功績を挙げる。呂布にとってはまさに獅子身中の虫だが、呂布は現実に反旗を翻されるその瞬間まで、陳親子を信頼していたというからオメデタイというか…イヤハヤ
 
呂布捕縛の功績により伏波将軍に昇進した陳登は、引き続き広陵に駐屯し、徐州の支配を任される。
徐州は善政が布かれ領民にも多く慕われたという。
 
陳登の才はまだまだこんなものではなく、孫策が江夏に黄祖を攻めると、厳白虎の旧臣を扇動し後方を撹乱、孫策はやむなく引き返す。
その報復の為、孫策が広陵に攻め寄せると、部下達は孫策の大軍に対抗できないと考え、撤退を主張するが『天道は正義に味方するものゆえ、必ずや勝利するだろう』と言うや城門を閉じ、意気消沈しているよう見せ掛け油断を誘い、後方からの奇襲により散々に打ち破る。
激怒した孫策は更なる大軍を差し向けるが、今度は密かに城外に多くの陣営を作り、城内では万歳と叫ばせ、都から援軍が来たと見せ掛けた。孫策軍がその様子をみて仰天し、混乱した所を襲い、またも勝利する。孫策の跡を継いだ孫権も徐州を狙うが、これも撃退している。
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