マイナー武将列伝

□皇甫嵩 字・義真(?〜195)
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シナリオ1・董卓陣営・将軍
攻撃81 防御79 機動77
魅力70 知力64 政治47
 
 
前回から大分間が開いたが気にせずに…
 
廬植とくればやはりこの人も押さえておきたい。
廬植と違い、この人と朱雋なんかは劉備に対して『プッ、この雑兵が』とか言ったりして、何だかイケ好かない官軍のエリート軍人な感じかと思いますが、実際のところ当時の劉備なんかは視界にすら入ってなかったかも知れません。
黄巾討伐の功績は、ほぼ皇甫嵩と朱雋二人の手柄で、劉備は関係ない局地的に極々僅かな手柄は立てたとは思いますが。
 
皇甫嵩は安定郡朝那県の人。若い頃から文武を志し、『詩経』『書経』を好み、弓術・馬術を習った。
先程エリート軍人とか言ったけど、実際、曾祖父が度遼将軍で祖父が扶風都尉。さらに伯父も度遼将軍で、父親は塞外民族がブイブイいわせてる鴈門郡の太守。
これでもかと言わんばかりの武門の家柄。まさに武人のサラブレットで、後漢王朝の最終兵器ですな。
 
で、初めは郎中・臨汾県令なんかになるけども、父が亡くなった為に辞職する。当時は父や母が亡くなると、官職を辞めて喪に服す習慣があって、真面目に仕事を続けてるとかえって後ろ指をさされたりしちゃう。これはそれこそ、丞相とか大臣クラスでもスッパリ辞めちゃうから結構迷惑な話だよね。大概は喪が明けたら復職するけど。
 
話が逸れた
皇甫嵩は浪人中も大尉とか大将軍からスカウトが来るけど固辞する。霊帝が官用車まで出して召しだし議郎とし、のちに北地太守に転任する。
そんな中黄巾の乱が勃発。霊帝は群臣に対策を問うが、側近連中にはロクなのがいない
そこで皇甫嵩が進み出て『党錮の禁を解き、優秀な清流派の士太夫を登用すべし』と進言。これは問題なしだが、続いて『国庫の銭や西園の馬を出して軍用にしちゃいましょう』と言うと、霊帝チョット渋い顔。
官職を売り払ってコツコツ貯めたお小遣いや、趣味で集めた名馬を手放したくないもんだから。銭はともかく馬の方は、遊び惚けているばかりの霊帝への当て付けなんだろうね。
渋々ながらも許可が下り、北中郎将・廬植は冀州へ、左中郎将・皇甫嵩、右中郎将・朱雋は穎川へと出陣する。
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