マイナー武将列伝

□建安の七子
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さて、難しいお題を頂きました。だって知らない人がいるんだもん。だいたい普通に変換出来ない字が多すぎる!θヾ(`Д´)ノ゙
 
それはともかく、本気で分からない人も含まれてるので、今回はひと山いくら的にここに纏めてみます。
 
中国史上、文学が非常に盛んになった時期がいくつかあり、その中の後漢末期、建安年間(196〜220)に、曹操を擁護者として多くの優れた文人達によって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。それが建安文学と呼ばれ、それら文人達の中でも曹丕が自著『典論』の中で当代の文人として挙げている七人の侍…じゃなくて文人が所謂建安の七子です。自らも優れた文人であった三曹(曹操・曹丕・曹植)と纏めて建安の三曹七子とか呼ばれる事もあります。
御存じのとおり曹操は、優れた人材の登用に貪欲でしたが、政治・軍事に有益な人材ばかりでなく、職人や文化人など、およそ乱世に於いて無駄飯喰らいと思われる人材も積極的に集めた。文化じゃ飯を食えない世の中ですからね
で、曹家主催の文学サロン的に発展した建安文学は、それまでのトレンドだった辞賦に代わり、楽府と呼ばれる民間の歌謡曲的なモノを文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で力強い作風の物が多く、戦乱の悲劇や悲哀、民衆の心情などを強く表現した作品が、数多く残されている。
そんな建安文学の代表的な人達が建安の七子ですが、これは後世に付けられた呼び名で、別にこれをユニット名としてグループ活動とか全国ツアーをやってたわけじゃありません、念の為。もっぱら普段の仕事しながらソロで作品を発表したりしてた感じでしょうか。
もちろん皆でワイワイ集まって、作品を披露しあったりとかもやってましたが、七人が常に群れていたわけでもなく、その他にも有名・無名の文人達が詩想を競ってのね。その他の人はメンドーなので省略
 
次ページから建安の七子を簡単ですが、個別に紹介します。
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