マイナー武将列伝

□董卓 字・仲穎(?〜192)
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シナリオ1・董卓陣営・君主
攻撃73 防御79 機動85
魅力53 知力73 政治41
 
 
さて、新年第1弾でありますし、それにふさわしく超メジャーなあの人でもいってみましょうか。
というわけでみんな大好き董卓様ですd(^∇゚)スキデショ? 
董卓様といえば正史に於いても演義に於いても、そのステキな悪逆非道ぶりで知られ、三国志最大のヒールの地位を不動のものとしています
しかし彼は本当にそんな大悪党であるのか?
おそらく初の試みで董卓様を擁護してみようかと思います
 
董卓は隴西郡・臨トウ県の人。
若い頃は近隣の豪族や羌族らと交わり、面倒見が良かったので人望が厚かった。董卓は人並み外れた怪力の持ち主で、牛を素手で絞め殺す事が出来、また弓馬の術に巧みで、騎乗したまま左右に弓を射る特技を持っていた
近隣では比較的良家であった事と、その武勇を買われて羽林郎となり、張奐配下として反乱討伐に従軍、戦功を立てる
この時の恩賞として銭20万を下賜されたが、これを辞退して絹9千匹を受け取り、全てを部下に分け与えた(ノ´∇`)ノ⌒かっくぃーぜ兄貴
『英雄記』には辺境の反乱討伐に従事する事百戦以上とあり、異民族討伐のスペシャリストな感じで、西域戊己校尉→并州刺史→河東太守を歴任する。
武勇に優れ機知に富み、部下の信望厚い親分肌の大将で、何だか誰の紹介してるのかウッカリ忘れそうですが董卓様です
 
184年、演義での初登場となる黄巾の乱に際しては、廬植の後任で東中郎将として軍を率いるが、敗戦して追撃を受けているところを劉備に救われながら、恩を仇で返す無能で器の小さい人物となっているが、劉備との絡みは無論創作。
敗戦して解任されたのは事実であるが、西域で武勲を挙げてきた董卓にとって、中原での戦は不得手であったのかもしれない。
例えば曹操でさえ苦手な戦いがあったのだから。
同年に起った辺章・韓遂・馬騰の反乱では、翌年に再び中郎将に任命され、見事に鎮圧しているし、羌族に補給線を分断されたときには、知略を以て追撃をかわし、朝廷が派遣した6軍のうち5軍は壊滅的な打撃を受けたが、董卓の軍だけは無傷で帰還した。董卓が軍人として有能である事は疑いない仲穎スゴイ(`・ω・´)
188年の王国の反乱では、董卓の策はことごとく的外れで、皇甫嵩に手柄を独り占めされちゃうんだけどね仲穎ショボン(´・ω・`)
この時に朝廷から皇甫嵩に軍を引き渡してちょとの勅命を受けるが、シカトしちゃう
後に并州牧に任命され、再び軍を返上して赴任するよう命じられるが『部下に慕われて離れたくないと言われてるので勘弁してちょ』と、やっぱりシカトしちゃう。
勅命を無視しちゃう董卓様は何を考えているのか?
董卓様はすでに先を見据えているのです。
そう、チョイワルおやじを演じてモテモテを画策しているわけでは、無論ありません
いや、そもそも勅命無視はチョイワルとかいうレベルじゃないし。
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