マイナー武将列伝

□陶謙 字・恭祖(132〜194)
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…善良どころか邪悪。文官どころかバリバリの軍人。 
そんな陶謙ですが、若い頃から学問を好み、剛直で節義ある性格であったともいいます。
戦乱で土地を失った流民は、陶謙の名声を慕い徐州に流入したともいい、陶謙を頼ってきた劉備には、気前良く虎の子の丹陽兵四千を貸し与えたりした。
また、陶謙が取り立てた人物には陳登や王郎、糜竺・朱治などの優れた人物がいる。
張昭などは、陶謙が死ぬと哀悼の辞を作って陶謙の死を惜しんだ。
 
…えっと、つまり陶謙は二人いますか?(;´Д`)
 
勿論そうではなく、よく見ると悪評のほとんどが陳寿の本文で、陶謙マンセーなのが劉備関連の記述と、それ以外は呉書・呉録などの呉関連のものばかり。
 
謎はすべて解けた!(金田一少年っぽく)
 
曹操の行なった徐州虐殺は、当時に於いても後世に於いても、弁解しようのない汚点。虐殺の事実そのものを抹消する事はできない。
ならば多少なりとも正当化しようとすれば、陶謙が悪逆無道の暴君である方が都合がよい。魏を正統王朝として書かねばならぬ陳寿としては、徹底的に叩くわけです。
一方、呉の方では、徐州虐殺は魏の不当性を訴える格好の攻撃材料。陶謙が善良な名君であった方がいい。 
となると、そういった徐州虐殺とは無関係っぽいところを抜き出すしかないけど…
とりあえず武官。人材の確保に熱心。でも悪い人達とも付き合ってる。劉備に好意的。結構強情。曹豹が好き(違っ
こんな感じになります
あと孫策親子をイジメてたというのは、さんざん陶謙を持ち上げてる呉書の方にあるので、信憑性が高そうです。イヤですねぇ。昔の偉い人もこう言ってました。 
 
『イジメかっこ悪い』
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