マイナー武将列伝

□田疇 字・子泰(169〜214)
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三国時代はいわゆる魏・呉・蜀の三国が皇帝を立て、鼎立した時代だが、それ以外にも皇帝や天子を自称して中央政府とは独立した政権の樹立を目指した者は少なくない。最も有名なのは袁術だろうか。
しかし、それら帝国とは異なる共和国、或いは理想郷を創り上げちゃったんだよね、田疇さんってば
人が多くなればそれを制御する為に、掟と指導者が必要となる。徐無山の人民は一人の例外もなく、田疇様こそ指導者に相応しい、と讃え、満場一致で田疇が選ばれた。
規模は小さいながらも、山を切り拓き、農地を広げ耕農・開拓生活を始め、学校を作り、刑法や民法などの教えを説いたと言う。
烏丸・鮮卑等とも同盟関係にあり、決して侮れる勢力ではなく、袁紹は取り込みを計り何度となく田疇を招聘しようとしたが、断固拒否してあくまで独立を貫いた。
しかし、やがて曹操が袁尚に勝利し、河北を制圧。更に北方の烏丸を征伐する為、地理に明るい者を探していた際、田疇はこれに降り曹操軍の勝利に多大な貢献をする。
その後、田疇は魏に移り住むが、曹操に仕えることはなかった。烏丸征伐の恩賞も全て固辞して受け取っていない。
曹操は『田疇はわしが下役として使ってよい人物ではない』と評していたが、未練タラタラで、田疇の親友であった夏侯惇に何度も説得させているが、田疇の意志は変わらなかった。
せめて侯に封じようとしたが、結局受けず、諦めて議郎に任じた。
 
その後は読書と近所の若者を集めて講義を開くなどの隠棲生活を送り、46歳の若さで世を去る。
 
 
…あれっ?完璧過ぎて、かえって面白みが無いぞ…(;´Д`)
と、まあこんな素晴らしい人物が、何故世間的にマイナーで埋もれているのか? 
主人公の劉備との接点がないからなんだけどね
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