マイナー武将列伝

□陳珪 字・漢瑜(生没年不明)
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…良かった、結構書く事あって(;^_^A
正直息子の陳登の方が活躍の場面が多いですから。
 
演義では親子共々劉備派として尽力しますが、実際は曹操の為に働いてます。
また正史の記述は簡潔ですが、演義の陳珪は老獪さを前面に出した策士で、性格悪いよ、このジィさんて感じです。
なお、陶謙配下とは言ってもそこは名門。武勲で成り上がった陶謙は、徐州牧となっても後ろ盾が無く、大富豪の糜竺・任侠集団の親分筰融と藏覇、そして地元の顔役である陳珪の協力によって政権が成り立っていた。その為徐州、特に南部での権勢は大変なものだったみたいです。
おそらく曹操や劉備に協力したり呂布を陥れたのは、一族の地盤である徐州の安定を考えてのものと思われる。
 
あと余談ながら、その後広陵に駐屯し名将ぶりを発揮する息子の陳登は、刺身が大好物であったが、食べ過ぎて腹の中に寄生虫が湧き、その為39歳の若さで世を去る…。
古代社会ではグルメも命懸けです(;´Д`)
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