マイナー武将列伝

□陳登 字・元龍(生没年不詳)
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軍人や策謀家としての顔ばかりでなく、陳登は内政や外交にも手腕を発揮した。 
曹操との密約は前述のとおりだが、劉備が陶謙から徐州を譲り受ける際も、近所の巨大軍閥・袁紹への根回しを行なうなど抜け目が無い。
 
何だか良いトコばかり取り上げてるみたいだが、同僚連中のウケは悪かった様で、許都に派遣された部下の陳矯は、『アイツは驕慢だ!』等の陳登の悪口を散々に聞かされ、陳矯がその評判を正直に報告した所『えーっまっさかぁ俺様に限ってそんな訳ナイぢゃんアイツ等僻んでんだよ、きっと。プッ』と、一笑して否定したという。…いや、アンタのそういう所がじゃないカナ
 
さて、そんな陳登の死因が刺身の食べ過ぎというのは陳珪のトコで触れたが、一度目は名医・華佗の治療により一命を取り留めているが、三年後に再発した時は華佗が居なかった為に、為すすべなく亡くなっている。 
一度死ぬ目にあったのに、止められなかったのでしょうか?…お刺身
 
しかし呂布にとっての獅子身中の虫であった陳登が、自らの体内に湧いた寄生虫により死亡するとは、何たる皮肉…と、考えるのは不謹慎ですかね?(;^_^A
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