マイナー武将列伝

□審配 字・正南(?〜204)
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建安七年五月、袁紹は失意のうちに病没したが、まだ正式に後継者を指名していなかった。
袁紹には3人の息子がいたが、審配・逢紀はかねてより長男の袁譚に憎まれており、郭図・辛評は袁譚と親しく、審配・逢紀とは仲が悪かった。審配らは袁譚が後継者になれば、辛評に危害を受けると心配し(ダジャレ)袁紹の遺書を偽造して袁尚を後継者に迎えた。
任地の青州から駆け付けた袁譚は後継者になる事ができず、車騎将軍を自称して黎陽に駐屯した。これにより袁譚・袁尚は仲違いしたのである。
 
九月、曹操が黎陽を攻撃すると、袁譚は袁尚に救援を求めた。審配は『兄ちゃんに兵をやると、こっちがヤラれますよ』と言った為、監視役の逢紀と僅かな兵を送った。
郭図・辛評は激怒する袁譚に『アンタが後継者になれないのもポストが赤いのも全部審配の差し金です』と告げると、袁譚もその通りだと思い、逢紀を殺し軍勢を率いて袁尚を攻撃した。しかしアッサリ敗けて反撃を食らうと、何と曹操に助けを求めちゃったアホカ…コイツ 
袁尚が南皮の袁譚を囲む間に、曹操は審配の守るギョウを攻める。曹操は地下道を掘り進むと、審配の方でも城内に塹壕を掘り対抗。審配の武将・馮礼が突門を開いて曹操軍を引き入れたが、審配が察知して城郭の上から大きな石を落として門を封鎖し、侵入した敵兵を殲滅した。
曹操は包囲陣を強めると、周囲四十里に渡って塹壕を掘り、河水を引き入れて城を水攻めにした。
審配は袁尚へ救援の使者を送るために老人や傷病者を投降させ、その中に密使を紛れ込ませる。
袁尚はギョウの危機を知ると、軍勢一万余りを率いて救援に駆け付けるが、撃退され敗走。城内は意気消沈した。
包囲から半年、審配の甥・審栄は東門校尉として城門を守備していたが、夜中に城門を開き曹操軍を引き入れた。審配は櫓の上から曹操軍が侵入するのを見つけ、郭図・辛評が冀州を台無しにしたと怒り、獄舎に人をやって辛評の家族を殺させた。審配は城内で抗戦したが生け捕りにされた。
 
審配が帳下に連れて来られると、辛評の弟・辛ピが彼を出迎えて、馬の鞭で頭を叩きながら『お前は今日必ず死ぬのだ』と罵った。審配は振り返りながら『お前にそんな権限ないぢゃんプッ』と言い返す。
一足早く降服していた張子謙が冷笑を浮かべながら『正南よ、卿は結局どれくらい我より優れておりますかな?』と言うと『お前は降服したチキン、審配ってば忠臣ぢゃん?カッコイー』と答えた。
曹操は彼を生かしておきたいと思っていたが、審配の意気は壮烈で最後まで屈伏せず、とうとう処刑を決断する。
処刑が目前に迫ると、審配は刀を持つ者を叱り付け、自分を北へ向かせつつ言った『我がご主君は北におるのだ!』と。
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