マイナー武将列伝

□皇甫嵩 字・義真(?〜195)
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序盤戦は黄巾軍が数にまかせ各地で暴れ回り、劉焉など一部の善戦を除いて、地方官の率いる軍は殆ど敗走している。穎川では先発していた朱雋が賊将・波才に破れ後退した。
皇甫嵩は長社まで進みそこを守ると、勢いに乗る波才は大軍で皇甫嵩軍を包囲した。皇甫嵩の兵は少なく、皆怖れを抱いていたが『戦は正と奇が肝要。兵の過多はノープロブレムよん』要するに正攻法と不意を突く奇策の併用で勝てると言い、強風の吹く夜、密かに精鋭を囲みの外に出し、火を放って大声で叫ばせた。城の上では篝火を焚いてこれに応じ、皇甫嵩は鼓を打たせながら敵の戦列に飛び込んだ。賊は驚き隊を乱して逃走した。この時ちょうど援軍として派遣された曹操が通りかかり、しっかりおこぼれを頂いてる。
一方北では、廬植が宦官へ賄賂を拒絶して更迭され、さらに後任の董卓がまるで働かず解任された為、皇甫嵩が後任となる。
首領・張角の弟張梁と対峙し、敵の士気が緩んできたのを見計らい夜襲でこれを破る。
功績により皇甫嵩は左車騎将軍・冀州牧となり食邑八千戸を与えられた。
その後涼州で辺章・韓遂が反乱を起こすと、長安へ派遣される。
しかし以前、中常侍の趙忠の法令違反をチクッた事や張譲が賄賂を要求したのを拒絶した為、逆恨みで連戦連敗してるとか、軍費が掛かり過ぎると上奏された。
そのため召し帰され左車騎将軍の印綬と食邑六千戸を没収された。
でもそこは官軍随一の軍事通。王国というのが反乱を起こすと、すぐに左将軍として復職。前将軍・董卓を引き連れ討伐へ向かう。
このとき董卓の出す作戦案に尽くダメ出しをして、真逆の作戦で快勝しちゃうから、ここでも逆恨みされる。そんな事言われてもねぇ…
で、後に董卓が都に入り実権を掌握すると、案の定恨みを晴らそうと、口実を設けて呼び出し殺そうとする。出掛けようとする皇甫嵩に部下は殺されに行くようなものと言い、天子を迎えて逆賊を討つべしと言うが、皇甫嵩は聞き入れず出頭した。
皇甫嵩は捕らえられたが、子の皇甫堅寿が進み出て大義を掲げて説得したので釈放され、議郎・御史中丞に任じられた。
董卓が王允・呂布によって誅殺されると征西将軍となり、董卓一派の掃討を行なう。位階は大尉に昇るが、冬には流星があったとされ罷免。まもなく李カクが長安を牛耳り、混乱を巻き起こすと病没した。驃騎将軍の印綬を追贈される。
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