マイナー武将列伝

□董和 字・幼宰(生没年不明)
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その後、諸葛亮なんかにも行政手腕や人柄を見込まれ、親友として付き合うのだけど、建国後まもなく50歳前後で亡くなったようで、何とも惜しい人材を喪ったものです。
ちょっと話逸れて、マイナーな董和には有名な息子がいて、董允というんだけど、諸葛亮、將エン、費イと並ぶ蜀の四相と称されます。
董允と費イは同年代で仲が良く、共に才があり評判も上々で、董和としてもこの二人の才能は優劣がつけ難いと思ってました。
ある時許靖が息子を亡くし、董允は費イと一緒に葬儀場へ行こうと、パパに馬車をおねだり。董和がわざと粗末な馬車を用意すると董允は…
(;´д`)。oО(こんな馬車ぢゃ恥ずかしくてイヤン)
 
と思って乗り渋っていたが、費イの方は平然として先に乗り込んだ。
葬儀場に着くと諸葛亮はじめVIP勢揃いで、彼らの馬車は大変立派であった。
皆が高級外車とかで来てるのに、一人だけ安物のレンタカーで乗り付けたようなバツの悪さで、董允は終始キョドってたのに対し、費イはゆったりと落ち着き払っていた。
董和はそのありさまを知り、董允に向かって『わしはいつもお前と文偉(費イの字)のどちらが勝れているか測りかねていたが、今ではわしにも良く分かった』と言った。
 
話戻して、この董和という人はとにかく諸葛亮に高く評価されたようで『十分の一でも彼の態度を見習う事ができれば、私も過失を減らす事ができるのだが』と言っている。
疑問点があれば必ず思考し、必要であればすぐに相談に来る。たとえ言い出しづらい事でも、言うべき事は相手が誰であれ、遠慮なしに直球でぶつける。
そんな人物であるから、蜀の命運を一身に担い、ある面では孤独であった諸葛亮にとって、最も心を許せる人物であったのかも知れない。
慎重な行動、緻密な思考、直言を恐れぬ剛直さ。公正を是とし、政治に携わる事20余年。間違いはなかったという。
なお最終的に左将軍大司馬に昇るが、私腹を肥やす事無く、彼の死去したとき、家には財産と呼ぶべきものは全くなかった。
 
何処かの国の政治家と、切実にトレード希望
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