★×忍足侑士B★

□眠る君に口付けを
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好きだよ。
そんなこと、言ってあげられなかったけど。

□■眠る君に口付けを□■

ジローは一人、夜中に目を覚ました。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
そんなことはいつものことだ。
またパジャマに着替える前に寝てしまったらしい。
着ていたシャツは皺くちゃになっている。
しかも、じっとりと汗をかいている。
昨日は何をしていたのだろう。
時計を見ると、まだ早朝の四時。
外は日が昇っていないから暗く、ひやりとした空気だけが朝だということを知らせている。
ふと足元を見てみると、そこには黒いネクタイが落ちていた。
こんなもの、普段は着けたことがない。
どうしてこんなものがあるのか。
取り敢えず、喉が渇いた。
何か飲みに行こうと、部屋を出てキッチンに向かう。
眠い目を擦ったら、少しだけひりひりとした痛みを感じた。
途中にある洗面所に寄って鏡を見てみると、何故か目が真っ赤に腫れていた。

――どうして。

そう言おうとした声は、ひどく掠れていた。
すぐにキッチンに行って冷蔵庫を開け、よく冷えた水で喉を潤した。
昨日は本当に何があったんだろう。
よく見てみると、滅多に着ないスーツを着ているのだと気付いた。
シャツも、制服ではないらしい。
どうしてスーツなんか着たのだろう。
何も思い出せない。
何かがすっぽりと抜け落ちてしまったような、そんな感覚。
部屋に戻って携帯を見てみたら、何通かのメール。
何故か皆、ジローを心配する内容のものばかり送ってきていた。

「……?」

理由が判らない。
最初が跡部。
その次に宍戸、岳人、鳳、日吉、樺地、滝までメールを送ってきてきている。
しかし、何故か忍足のメールだけがない。
ジローと忍足は付き合っていて、それはテニス部ならば誰でも知っていることだ。
それなのに、どうして忍足からだけないのか。
考えていたところで、突然携帯が鳴り出した。
相手は跡部だ。

「…もしもし?」

『ああ…ジローか。悪いな、早い時間に』

「ううん、大丈夫。…どうかした?」

『いや…大丈夫かと思って…もう平気か?』

「…何が?」

メールの時点からよく判らなかったのだ。
何を心配されるようなことがあるのだろうか。

『…覚えてないのか?』

跡部が驚いたように声をあげる。

そして、たっぷりの間を空けてから、ゆっくりと話し始めた。

その内容は、ジローには信じられないものだった。

『…ジロー?』

「……うそ、だ…」

携帯を握り締めたまま、固まってしまう。
そんなこと、信じられない。
受け入れられない。

――忍足が、死んだ、なんて。

交通事故。
そんな単語は、頭に入ってこない。
足元から地面がなくなるような感覚。
自分が立っているかさえ判らない。
全てが音を立てて崩れ落ちていく。
きらきらした思い出が、一つずつ掌から零れ落ちていく。

「う、そ…だよ、だってそんな…!」

『ジロー?…ジロー!大丈夫か?』

もう、跡部の声はジローに届いていない。
携帯は重い音を立てて床に落ちて転がった。
ジローの大きな瞳からぼろぼろと涙が溢れ出していく。

『ジロー!…っ今からそっちに行くから!』

電話口で、跡部が必死に叫んでいる。
ジローはふらふらと家を出ていった。
朝のひやりとした空気に寒気がするが、気にならない。
そのまま、裸足でまっすぐ大通りに向かった。

「…忍足」

道の真ん中で仰ぎ見た空は、とても綺麗な青だった。

□■END□■

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