★×忍足侑士B★

□楽園
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確かに、身体は少し細いのだが、それ以外に特に変わったところはなかった。

「…暇なら、一緒に行こうぜ。退屈してたとこだしな」

「え…?ホンマに?」

軽い調子で跡部が誘うと、少年はとても嬉しそうに笑って何度も大きく頷いた。
手を繋いでみると、その少年の手はひんやりと冷たかった。

***

少年は忍足と言った。
変わった名前だなと言うと、よく判らないと曖昧な答えが返ってきた。
詳しく聞いてみると、ずっと病院にいるのだという。
退屈じゃないのかと聞いてみると、ずっといるから気にならないという。
ただ、ずっと部屋にいたから、外に出てみたかったのだと笑っていた。
跡部は一度親戚の家に戻ると、忍足を外で待たせ、自分の着替えと靴を持っていった。
本当は家に上げたかったのだが、忍足が頑なにそれを拒否したのである。
庭に隠れてこっそり着替えを済ませると、忍足はもう病人には見えなかった。
跡部は忍足の手を引いて、近くの公園に遊びに連れていった。
病人だというのに、忍足は所狭しと駆け回って遊んだ。
一人で退屈だった跡部も、忍足と遊ぶのはとても楽しかった。
ただ、他に忍足に声を掛けてくる者はいなかった。

***

日が暮れて、そろそろ帰ろうとすると、忍足は嫌だと首を横に振った。
また病院に戻るのが嫌だと言うが、跡部も自宅ではないので連れていくことは出来ない。
それでも忍足は、帰りたくないと泣きじゃくって聞かなかった。

「泣くなよ…な?明日また一緒に遊ぼうぜ」

「…明日…?」

跡部の言葉にも、忍足は泣きながら首を横に振り続ける。
そんな忍足を、跡部はなんとか宥めながら、どうにか病院まで連れて帰った。
たくさんの大人に囲まれて病院に戻る忍足は、跡部の方を振り返ろうとはしなかった。

***

翌日。
跡部は約束した通り、病院を訪れた。
と言っても、中には入れない。
一般人は入れないことになっていると、門前払いされてしまったのだ。
仕方なく、昨日忍足と出会った辺りに来た。
病院を見てみると、一つだけ、窓の空いている部屋があった。
そこからは、風に揺れる木々の葉が擦れる音に混じり、小さな喧騒が聞こえてきた。
跡部にその内容は理解出来なかったが、何度も、何人もの声が、忍足の名前を呼んでいること、そして、その声が震え、掠れていることだけは伝わっていた。

***

そんな出会いがあってから、一体どれだけの時が過ぎただろうか。
跡部はまた、あの病院を訪れていた。
今はもう一般人ではない。
跡部は堂々と、その病院の中に入っていく。
向かった先は、一つの部屋。
そのドア横のプレートには、「忍足侑士」と書かれている。

「…忍足」

纏っている白衣を翻し、跡部は中に入っていく。
ベッドに横たわるのは、あの日出会った少年。

「…また抜け出そうなんて考えてるんじゃねぇだろうな?」

「そんなことあらへんよ。…跡部が来てくれるのに、外に行く必要なんかないやんか」

開け放たれた窓から午後の柔らかな風が吹き込み、忍足の黒髪をふわりと揺らす。

「風邪引くぞ。ちゃんと寝てろ」

それでも自由に繋がる窓は開けたままで、跡部はやはりひんやりと冷たい忍足の額をそっと撫でる。
あの日の約束を果たすため、跡部はここに来た。
そのために、最大限の努力を重ねた。
忍足は、穏やかに笑ってくれた。

「…外に出たんは、あの日が最初で最後やけど…あの日、抜け出して…跡部に会えて、ホンマに良かった」

この笑顔に導かれて、ここまで来たのだ。
あの日出会い、気付けばまたこうして出会っている。
何もない、狭い部屋。
しかし、そこは紛れもなく、二人にとっての楽園だった。
唇に触れる柔らかで確かな感触が、その楽園の全てだった。

□■END□■
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