文心[ブレスト・アナザー]
□ブレスト・アナザー
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【旅の始まり】
ラウ導師と名乗った老人は、たっぷり三十秒ほど、薫の顔を眺めた。
「ラウ導師……?」
耐え切れなくなって、薫はラウ導師の名前を呼ぶ。
「おぬし、名は何といったかの?」
「三谷薫です」
「ミタニ……ふむ、ミタニか。 ……なるほど。ここではカオルでよろしい」
「はぁ……」
何が“なるほど”なんだろうとカオルは首をかしげた。
「う〜む……おぬしの場合、わしが思っていたよりはまずまずというところじゃが、幻界適性偏差値は四十点じゃな」
ラウ導師はそう言って、クリップボ―ドに書き込んでいる。
「四十点……?」
(──それは、合格点ですか?)
訊こうとしたが、導師の表情から見るとあまりいい点数とは言えないようだったのでやめておいた。
「おぬしは、ア―チャ―じゃ」
クリップボ―ドとカオルを交互に見ながら、ラウ導師は言った。
「ア―チャ―って……弓矢を撃つ人のことですか?」
日常会話ではあまり聞き慣れない単語に、カオルはその言葉の意味を確かめた。
「そうじゃ。ここではその者が手にするにふさわしい武器が与えられる」
そう言われて、カオルが“おためしのどうくつ”を出た後で手渡されたのは、自分のちょうど腰くらいまである長さの弓だった。
「僕には、これがふさわしいってことですか?」
「さて、どうじゃろうな。ふさわしいと思えばふさわしい、ふさわしくないと思えばふさわしくない。ただそれだけのことじゃ」
そう言われても、カオルには手にしているものが自分にとってふさわしいのかどうかが判らなかった。
使ってみてこそ、判るということなのだろうか。
弓を放つ自分の姿を想像してみて、そこでようやくある疑問が浮かんできた。
弓なのに、肝心の弓矢や矢立てがない。
そのことをラウ導師に訊くと、「それを今から説明してやろう」と言って導師はカオルに向き直った。
カオルは、導師の言葉に真剣に耳を傾けた。
何しろ自分の生命に関わることだ。この先どんな危険が待っているか分からない幻界を旅するには、それなりに自分の身を守る術が要る。
「その弓に穴が空いてあるじゃろう?」
ラウ導師が示したところを見ると、弓を持つ部分を中心にして対に並ぶ丸い穴が開いている。
「そこに、五つの宝玉を嵌め込むことで力が発揮される。おぬしの場合は、弓を引くときに宝玉の力を以て弓矢が放たれるのじゃ」
「……でも、今はその力を与える宝玉が一つも無いってことは、これはただの弓……ってことですよね?」
カオルは、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「うむ……そうじゃな。どれ、旅のハナムケに一つ、わしからこれを渡しておこう」