文心[ブレスト・アナザー]
□ブレスト・アナザー
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【おとぎばなし】
「おとうさ〜ん、これなぁに〜?」
そう言って息子がテーブルの上に差し出してきたのは、古びたノートだった。湿気を吸って軟らかくなった表紙を小さな手で一生懸命開こうと苦戦している。
ようやく見開かれたペ―ジには、懐かしい言葉が並んでいた。
要御扉
幻界と現世
水人族のキ・キ―マ
ネ族のミ―ナ
刺蘭のカッツ
騎士団隊長のロンメル
扉の番人、ラウ導師さま
創世の女神さま
もう一人の旅人、芦川美鶴
千年に一度のハルネラ
交易の町、ガサラ
牧畜の町、マキ―バ
工芸の町、リリス
水人族の住む、サ―カワの郷
悲しみの町、ティアズヘヴン
凍れる都、デラ・ルベシ
港町、ソノ
北の大陸、ソレブリア
(──あぁ、何て懐かしい。どうして今まで忘れていたんだろう。)
“忘れる”ことが怖くて、毎日のように開いては眺めていたこともあった。かつては、その一字一句を諳んじることもできた。
そのノ―トを、亘は再び手に取る。
「これはね……」
要御扉から現世に戻ってきたあと、忘れないようにと書き記していたもの。
仲間の性格や口癖、その容姿、聞き覚えた国の名前と場所、その国の特徴を書いたもの。
「これは僕の……──父さんの宝の地図だよ」
「えぇっ!? タカラのチズぅ〜!? これが〜?」
“タカラ”という言葉に反応したのだろう。息子は「わあ〜すごい!!」と、小さな目をキラキラさせている。それはまるで、今にも踊り出しそうな勢いだった。
「そうだよ。父さんは、運命を変える旅に出たんだ」
ノ―トをめくる手を止めて、亘は小さな頭を撫でてやる。
「ウンメイ〜?」
初めて耳にする言葉なのだろう。小首を傾げて、亘のほうをじっと見上げている。
「そう、運命。じゃあ、今夜は父さんと一緒に寝るか? 父さんがとっておきのおとぎ話を聞かせてあげよう」
幼稚園の先生も知らない、昔話の絵本にも載っていない──そんなどこにもない、たったひとつの勇気の物語を。
はしゃぐ我が子を抱きしめると、亘は十一歳の少年の日へと思いを馳せた。