文心[ブレスト・アナザー]

□ブレスト・アナザー
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 身体を起こそうとした途端に鈍い痛みが走り、キ・キーマはうめいた。

「ごめんな、キ・キーマ。ダイジョウブか?」

 気遣うような声が聞こえるが、それ以上手を貸そうとする様子はない。
 ようやくひとりで起き上がったとき、キ・キーマは自分が塀のように四方を囲まれた場所にいることに気づいた。

「痛かっただろ? ブジュツって言うらしいんだけど……」

 声は高い壁の上から聞こえてくる。壁だと思っていたものはよく見ると木箱だった。それが何段にも積まれていて、中に入った者を逃さない檻のようになっていた。唯一、開いている上方はキ・キーマがようやく立ち上がっても、手を伸ばしてもそのふちには届きそうにない。
 その木箱の上に座って、ラヴィはブジュツについて説明している。水人族は大抵のことで倒れるほど華奢ななりはしていない。どんな技を使ったのか興味深いところではあるが、今はそんなことはどうでもよかった。

「……ここはどこだ? さっきのヤツはどうした?」

 倒れる前の衝撃的な事実を思い出して、声に怒気がにじむ。それを察してか、ラヴィは叱られた子供のようにうつむいて白状する。

「ここは倉庫の中だ。トーノは……今はここにはいないよ」

 今は、ということは後で戻ってくるということだろうか。気を失ってからどれほど時間が経ったのかは分からないが、上方から入ってくる光は明るく、まだ完全に夜にはなっていないようだ。待ち合わせ場所でカオルは何も知らないままに待っているだろう。
 キ・キーマは、どうしても聞いておかなければならないことがあった。

「ラヴィ……おまえ、ヤツの仲間だったのか?」

 キ・キーマの問いに、ラヴィは困ったように顔を曇らせる。そして、意を決したように口を開いた。

「……うん。騙していて悪かったよ」

 ラヴィは頭を下げた。それを見て、ますます怒りがこみ上げてくる。
 何かあったら自分が付いているから大丈夫、と太鼓判を押してくれたブランチ長の言葉が浮かぶ。それがこのありさまだ。できることなら知りたくなかった。嘘だと言って欲しかった。それほどまでにいつの間にか仲間として信頼していたのだった。

「ごめんな。どうしても鏡を手に入れたくて、たくさんウソついた……」

「どうしてそんなに鏡が欲しいんだ!? いったい何に使う気なんだ!?」

「鏡が欲しいのは……トーノが、旅人だからなんだ」

「なんだって!? それは本当なのか……?」

「うん。ホントだ」

 トーノが旅人だとすると、今現在、カオルを合わせて幻界に来ている旅人は二人だということになる。
 それはキ・キーマの中の悲しい記憶を呼び覚ました。
 旅人が二人訪れたときは大いなる境界の張り直しのとき──ハルネラのときだった。ヒト柱として幻界のヒトと現世の旅人の中からひとりずつ選ばれる。
 ワタルがそのヒト柱に選ばれるかもしれないという恐怖。その恐怖を、キ・キーマはこれから再び味わうことになるのかと愕然とする。
 しかし、ハルネラは千年に一度、ちょうどワタルが来たときに始まって、終わったのだ。だから、また再びハルネラの時期が来たわけではないとキ・キーマは自分に言い聞かせた。
 それならば、なぜ旅人が二人いるのか。
いつ来た旅人か訊こうとして、キ・キーマはもうひとつ思い出したことがあった。
 ワタルが旅人として来ていたときは、旅を途中であきらめた旅人たちはデラ・ルベシ特別自治州というところに住んでいた。
 その中のひとりが現世から動力の設計図を持ち出し逃げ出したために女神さまの怒りに触れて自治州もろとも破壊されてしまったことがあった。キ・キーマもその場に居合わせたことがあるが、そのときのことを思い出すと今でも身が凍るほどだった。
 その特別自治州という居場所がなくなったあとの、旅をあきらめた旅人の行く末をキ・キーマは知らない。しかし、旅人が十年に一度女神さまに呼ばれてくることを考えてみれば答えは簡単だった。
 トーノはワタルが幻界に来た以降の旅人だということになる。

「あいつは十年前の旅人か……?」

「うん」

 十年前の旅人は、旅の資金の援助もハイランダーの資格試験も受けずにガサラから旅立っていった。
 そのことがキ・キーマの記憶に残っていた。

「……そうか。何も音沙汰がなかったから、願いを叶えて現世へ帰ったものと思っていたが……。なんでまだ幻界にいるんだ?」

「──帰れなかったんだ」

「帰れなかった? そいつはどうして?」

「オイラは……トーノの旅の仲間だったんだ」

「旅の仲間!?」

「うん。一緒に幻界を旅してた」

「それが、何で盗賊なんかに?」

 ラヴィはうつむいて小さくなった。

「……オイラが悪いんだ。初めてできたトモダチだから、ずっとここにいてほしくて……。でも、あんなに現世に戻りたかったなんて、思わなかったんだ……。だって、いつも現世のことを悪く言っていたから、帰りたくないんだと思ってた。帰りたくないなら幻界で暮らせばいいって……そう思ったんだ。だから──」

 ラヴィは怖ろしいことを口にした。それは、決してしてはいけないことだった。



「──だからオイラは、トーノの持っていた宝玉と真実の鏡を、海の底に……捨てたんだ……」









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