落陽

□六
1ページ/1ページ


 その日は、とても体が重かったのを思い出します。何をしても直ぐに息があがり、風邪では無いだろうかと何度も何度も心配されました。
「う、うぐ……っ」
掃除の途中なのにも関わらず、屈み込んで私は胃の中の物を戻してしまいました。戻したのにも関わらず、いつまでも気分は治らぬまま鬱々としておりました。
「い、イチさん、一体どうなさったの」
女中仲間の視線を追っていくと、足元には血の海が広がっておりました。そして、それを更に追うと自らから流れるものだという事が理解出来ました。私は、驚くほどに冷静でした。
「大丈夫、そう……大丈夫よ。誰も呼ばないで、お願いだから」
と言いつつ、滴り落ちる血を拭って何事も無く過ごしました。しかし、人の口には戸は立てられぬと言うのでしょう。あっという間に噂は広がり、奥様の耳まで届くのは遅くありませんでした。

「あなたは、この屋敷から早急に去りなさい」
奥様は、冷静にそう仰いました。その時、奥様から大金を握らされたのです。この金で何とかしなさい、奥様は確かに目だけでそう仰いました。私は別段、泣きもせずに屋敷を去りました。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ