君から卒業したい


「第二ボタン、頂戴」
ある意味、伝統的な文句だと思う。図書委員で委員長の彼女と、会計係の俺。俺は呆気に取られ、彼女を見ていた。俺が答えようとしないのを見てか、繰り返される。左手の掌を見せられ、呆然とする。
「第二ボタン、頂戴」
「えっ……と、あの」
しどろもどろと言葉に詰まりながら、学ランを見る。その二番目には、ボタンと呼べる物は無い。人にあげてしまったわけでは無く、取られてしまったわけでも無く。元から、第二ボタンと呼べる代物は無い。代わりに、上着の内側には金属のホックが付いている。内ボタンならぬ、内ホックとでも言ったところか。最近制服のデザインが変更された為に、伝統も払拭されてしまったというわけだ。
「まあ、良いのよ。これは、儀式に過ぎないんだから」
彼女は、さも可笑しそうにクスクスと笑う。入学当時から変わった人だとは思っていたが、三年間図書委員を務めた人。そして、俺はそれを追い掛けていた人。
単純に、そういう間柄だった。例えクラス替えが行われても互いに図書委員を務めたお蔭で、余程の本好きという印象も他人には与えているだろうが。まあ、彼女からその台詞を聞くという事は願ったりなのに。
「……あ、はい、そうですか」
ざあっ、と風が吹く。黄砂が飛んで、顔に当たっていく。口にも入ったのか、舌がざらつく。俺は何故、彼女に敬語なのだろうか。未だに、それだけが疑問に残る。委員長と会計、という関係に蟠りを抱えているのか。それとも、他に何かあるのか。良くも悪くも雰囲気のある彼女に、いつの間にか俺は飲まれていたのかもしれない。
「じゃあ、それ頂戴」
彼女は俺の首に引っ掛かった、使い古しのマフラーを漸く指差す。クタクタでボロボロ、毛糸は飛び出して普通なら捨ててしまう様な。
「え? これを?」
「早く」
急かされたので、慌てて外す。しかし、渡さなかった。桜の花びらでは無く、黄砂の舞う中でマフラーを握り締める。景色が、黄色く見えた。
「俺にも、何かくれませんか?」
「例えば?」
有無を言わせない様な口調に、一歩後ずさる。彼女の全体像を捉え、卒業証書と栞の挟まった一冊の文庫本が目に入る。
きっと、読み掛けなのかもしれない。彼女は、この学校屈指の読書家でもある。そして、それをふと閃く。
「それ、貰えませんか。その、文庫本」
「え?」
今度は、彼女が呆気に取られていた。
「これなら、そこの市立図書館に置いてあったわよ」
「良いんですよ」
図書委員なだけに、と言ったら白い目で見られるだろうか。
「新品を、買ってあげても良いわよ」
「それが良いんです」
図書委員なだけに。
「じゃあ、……はい」
差し出された本を受け取り、マフラーを渡す。彼女はそれを気にもせず、首に巻く。
「取り敢えず、洗濯をお勧めします」
「要らないわよ、洗濯なんて」
ぐるぐるぐる、と首に巻き付ける。細い首なのだろう、俺よりも数回多めに巻き付けていた。
「あ、これ読み掛けですか?」
「そうよ」
マフラーが口元に当たっているのか、くぐもった声が漏れる。そのまま、彼女の名残惜しそうな目線が本に行く。そして、本に手を伸ばす。が、俺は本を高く上げる。
「栞、入れっぱなしだったのよ」
「これも、セットですよね」
ニッ、と笑うと彼女は仕方ないなと呟く。
「まあ、良いわ。わたしの手作りなんだから、使ってやって」
「へえ……」
押し花なんて、懐かしいとまじまじ見てしまう。表裏、表裏、表裏と確認に次ぐ確認。
「ちょっと、あんまりジロジロ見ないでよ」
「まあまあ、もう俺の物なんですから」
それから、彼女とは一度として連絡を取り合っていない。
しかし、俺の中から彼女の残像が消える事も無かった。文庫本は、彼女と同じ所までしか読んでいない。ちょうど、最終章の中表紙だった。

 俺は未だに、彼女の読み掛けの小説のラストを知らない。そして、段ボールを前に取捨選択を迫られている。

(終)






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