桜の木の枝にて




「桜の樹の下には、死体が埋まっているそうだ──莉子」
「え?」
ふわり、と桜の花びらが舞う。公園の夜桜は、ライトアップされて幻想的だった。彼女は風に吹かれて舞った花びらを受け止めようと、木に近付いて手を伸ばしていた。しかし。
「──きゃあああぁぁあッ!」
幻想的な空間は、彼女の叫び声で掻き消されてしまった。

「桜の樹の下には死体が埋まっている」という文句は、作家の梶井基次郎が有力説だという。

「まあ、いわゆる下では無かったわけだが」
ビル街の一室で細く長い脚を組み、ソファに踏ん反り返る扇城寺。また、その細身のスーツは彼の為に誂えた様な洒落たデザインだった。そして、ビルの窓硝子には意外にもポップな字体で「興信所」と書かれていた。
「言わなくて良いから、お願い止めてッ!」
その言葉に首を左右に振って、抵抗する莉子。しかし彼女の脳裏には、しっかりと桜の木の枝から下がる死体が焼き付いている様だった。
「卯建の上がらぬ一介の探偵が、のし上がるチャンスだ」
「仕事なんか、浮気調査とかペット捜しでいいもん」
扇城寺と莉子は隣同士に座ったまま、眼だけで互いに睨み合っていた。すると、テーブルを挟んで彼らの前に座っていた、皺だらけのくすんだスーツを着た髭面の男がようやく口を開く。
「って、あんたらは第一発見者であると同時に、犯人としても疑われてんだよ。自称探偵の扇城寺有弥と、その助手の伊部莉子」
「フルネームで呼ばないでッ!」
膨れっ面の女子大生は、スーツの男にツッコミを入れられて癇癪を起こしていた。そして、扇城寺の前には髭面でスーツ姿の男──秋野時雨刑事の名刺があった。
「わたしは、見ただけですからッ!」
莉子が必死に弁明しようとも、秋野は首を左右に振って「話は、署で聞かせてもらおう」の一点張りだった。そして、その答えに嬉しそうな表情を浮かべる扇城寺。
「こうなったら、わたし達が犯人を見付けなくてはな」
「いやあああぁあ!」
ホラーが苦手な莉子は、二人の鼓膜を破らん限りに絶叫していた。

 と、再び現場に戻る。被害者は、老若男女合わせて十三人。全員に一致する共通点は無く、死亡推定時刻より少し前に大音量の音楽が流れたという。
それが、彼らの持つ全ての情報だった。
「一体、何の音楽なんでしょうね?」
「さあな、解らないが煩くてかなわなかったらしい。まあ、花見の中の事だ。いくら騒ごうと、おかしくない話だな。ところで、どうして音楽なんか気にする?」
「いえ、音楽なら音大生であるわたしの出番かな……みたいな?」
莉子は恐る恐ると、扇城寺の機嫌を窺う。幸い、彼には大して興味が無い様だった。
「……早く、犯人見付けましょうねッ!」
「ふん、もう帰る。この事件は、解決出来ん」
ふい、と扇城寺は身を翻す。
「え?」
「わたしにも、お前にも十数体もの死体を一気に桜の木の枝に吊す程の力は無い。物理的に、不可能だ」
「それはそうだけど」
職業病か、単に解決出来ないもどかしさか。卒業後、彼女が興信所に就職するのはまた別の話である。
「何か文句はあるか」
「……あ、ちょっと待って、一人にしないでったら! 有弥ッ!」
莉子は先を歩く扇城寺の後を、必死で追い掛けていた。

 相変わらずくたびれたスーツ姿の秋野は、ファミリーレストランで莉子の前に座っていた。一回り程歳の離れた二人は、ある意味怪しい仲にも見えた事だろう。
結局、犯人は解らず終いで全員は自殺と見做されて処理された、と莉子は聞かされていた。
「桜は狂気を呼ぶ、という事ですか?」
「ああ、そうかもしれないな」
「しかし、十数人が同時に自殺だなんて考えられません」
紅茶に砂糖とミルクを注ぎ、掻き混ぜる莉子。
「仕方ないさ、証拠も動機も無い」
「あ、あの、ふと思った事がありまして」
莉子は手を止め、ジッと秋野の顔を見る。
「何かな?」
「えっと、音楽で人を支配するという物なんですけど」
しどろもどろと話を始める莉子を、静かに見守る秋野は父親の様でもあった。
「そんな事が出来るのかい、莉子ちゃん」
「ええと、まあ、推測の域を出ませんが。秋野さんは、軍歌というのをご存知ですか」
「ああ、御国の為に何とやらとかいう」
「それです、それです。あれって、一定のリズムなんですよ」
「へえ、面白いな」
手を組み、前のめりに身を乗り出す。
「それでですね、人の脳波を操るっていうんですか? アドルフ・ヒトラーも、演説の際に音楽を流していたそうです」
「しかし、全ては終わった事だ」
自嘲の笑いか、秋野は面白くなさそうに鼻で笑った。
「それは、解ります。でも、わたしは──」

(了)






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