サヴァ小説1

□冬を越えて
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シュウが死んで、ひと月ほどたったある日のことであった。

長期休暇は終わり、いつもの生活が繰り返されていた。
学園に行き、ヴァイオリン教室のある時は、そのままロマノ先生のところを訪ね、
いつも通りに練習をして帰宅する。
それはコンクールの前と何ら変わらない生活であった。

ただ変わったことは、夕暮れ時の公園を避けて通った。
あの出逢いの日に向けられた、あの優しいシュウの微笑む姿が思い出されて苦しかったからだ。

メノリ「…ただ今、戻りました…」

居間にはめずらしく父の姿があった。
こうして顔を合わせるのは久しぶりであった。
ひとり掛けの椅子に深々と腰掛けていた父は、メノリの姿に立ち上がると、居間の大きな窓の前へと歩いていった。

父「…久しぶりだな」

父は窓の向こうの景色を見ながら話しかける。

父「アレッド・シティール・コンクールでは優勝したそうだな。遅くなったが、おめでとう…」
メノリ「は…、ありがとうございます…お父様…」

父から思わぬことを言われ、メノリは目を丸くした。

コンクールのことを執事から聞いたのだろうか?

いつも仕事に追われて、自分のことなど気にもとめていない父からのお祝いの言葉に、メノリは少々面食らっていた。

メノリは父の後ろ姿から、手前の方にあるテーブルの上に置かれているものに目をとめた。
何故かヴァイオリンのケースが置かれていた。

メノリ「…お父様、そのテーブルの上にあるものは…?」

メノリの問いかけに、父は少しだけ顔を向けた。

父「…お前に渡してほしい。そう言って置いていった」
メノリ「…私に…?」

メノリは持っている自分の荷物を床に置くと、テーブルに寄り、静かにそのケースを開けた。

メノリ「こ…、これは…っ!」

入っていたのは見覚えのあるヴァイオリンであった。
修理はされていたが、ヴァイオリンには、あの日床に落ちて出来た傷あとが薄っすらと残っていた。

メノリ「…シュウのヴァイオリン…」

メノリの脳裏に、まざまざとその時の光景が浮かんだ。
あの日途切れた曲は、いまだ鮮明に耳に残っている。
情熱的に紡がれる旋律。
豊かな表現力。
そして引き裂かれるように途切れた音色…。
まるでヴァイオリンの悲鳴のようであった。

父「そのヴァイオリンの持ち主とは親しくしていたのか?」

父の声にハッとしてメノリは顔を上げる。

メノリ「…コンクールの…ライバルでした…」

今にもあふれ出しそうな想いを、メノリは必死にこらえた。
父は弱音を吐くことを許さない。
涙など絶対だ。

メノリ「シュウの…ご両親がいらしたのですか?いつ、帰られたのです?急いで返してこなくては」

メノリは早口で父へと話した。
声はかすかに震えていた。
その声音に父は片眉を上げる。

父「…さっきだ。 時々弾いてやってほしい。そう言っていたな…。
  息子のために涙を流してくれて嬉しかった。…そうも言っていた…」

メノリは凍りついたように父を見つめた。
父は完全にメノリの方を向いて立っていた。

父「…人前で涙を流すなど、感心できないことだな、メノリ・ヴィスコンティ」
メノリ「で、ですがお父様っ! 短い間と言えど、競ってきた相手が亡くなったら、泣くのは当たり前のことですっ!」
  「シュウに勝ちたい…、その一心でコンクールに挑んで…、最終審査の日にシュウは…っ」

想いは込み上げて、メノリはテーブルに両手をつき、グッと想いをこらえた。
胸が、心が痛かった。
失ってしまったものは、想像以上に大きな存在であった。
あの夕暮れ時に、不意に視界に飛び込んできた黒髪の少年は、ほんの短い間に誰よりも自分をわかってくれていた。

メノリ「…うっ…うっ…」

こらえていた涙は、とめどなく流れた。
シュウに最期の挨拶をして、それ以来押し込めてきた想いは、せきをきったようにとめられなかった。

父「…やめなさい」

低い威圧する声が届き、メノリは泣き顔のまま顔を上げた。
テーブルを挟んだ向かいに父は立っていた。
不快そうに、厳しい眼が自分を見据えていた。

父「そのように泣くとは…、恥ずかしいと思わんのか…!」
メノリ「ですが、シュウは私にとって、大切な…」
父「心を許すから、そんな風に心を乱すのだ。思い出に苦しむくらいなら、そんな思い出など忘れてしまえ…!」

メノリは二の句を告げずに黙った。
怒りの色を含んだ父の前で、メノリは黙すことしかできなかった。
その瞬間は、まるでどろりと粘つき、ひどく時間が流れるのが遅く感じた。
熱かった頬は、急激に冷えていった。

父「…お前は一般の人々とは違う…、それを忘れるな」

気配を消し、二人のやりとりをうかがって居間の入り口に立っていた執事に、父はメノリに言い終えると声をかけた。
そして出掛ける支度を終えると、執事とともに部屋を出て行った。
ひとり残されたメノリは、しばし暗い眼差しで部屋の扉を見つめ、そして目の前のテーブルへと目を戻した。
そっとケースに手を入れて、シュウのヴァイオリンを取り出した。

メノリ「…うん?」

ケースの中に手紙が入っていた。
ヴァイオリンを置き、それを手に取った。
手紙には、父から告げられたことと同じ内容のことが書かれていた。
そしてシュウの写真が。
ブルーグリーンの瞳は優しく穏やかな笑みを浮かべていた。
メノリは写真を見るなり、顔を歪めると、封筒の中に仕舞いこんだ。

思い出そのままの笑顔に、様々なことが思い返された。
ザラザラした想いで、心は揺れる。
きつく結んだ唇から、声が漏れそうになり、メノリはギリギリと噛みしめた。

泣いてはいけない…。

メノリは今にも泣き出しそうで、必死に想いをこらえた。

メノリ「…許してくれ、シュウ…。忘れることを…。お前を思い出すのは…つらすぎる…」

手紙をケースに入れて、メノリはヴァイオリンを手に取った。

メノリ「…いつか、時が流れて…、穏やかな心で向き合えるようになるまで…」

メノリは慈しむように、シュウのヴァイオリンをそっと撫でた。


揺れる焚き火の炎を、メノリはボンヤリした眼で見つめていた。
今や主の居なくなった部屋の片隅に、置かれたままとなっているシュウのヴァイオリンのことを考えていた。

メノリ(…こんなことになるなら…、やはり返した方がよかったな…)

ふぅ…、知らぬうちにため息が漏れた。

シャアラ「…メノリ、何だか顔色が悪いわよ…大丈夫?」

隣に座るシャアラは心配そうに見つめていて、思わずメノリは口元を上げた。

メノリ「大丈夫だ」

気が滅入っていることもあり、元々色の白いメノリの顔は青白かった。
シャアラが安心するように小さく笑って見せると、また眼差しを焚き火へと向けた。
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