Penalty game

□penaltyL
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胸が痛い。







それは切ない感情が伴う痛さではなく、心臓が激しく胸を強打する本質的な痛みだ。

隆平の心臓は悲鳴をあげるように暴れている。

周りのざわめきを遮断し、自身の中核の振動しか聞こえてこない状況下で、目の前には恐ろしくなるほど整った顔が近づいてきている。


それでも隆平は一歩たりとも後退しなかった。
だがその代わり、ぼんやりと考えた。



(神様…おれに何の恨みがあるんでしょうか…)




目があってから間もなく、九条は隆平の姿を確認するや否や、淀んだ瞳を細くさせたかと思うと、全く迷いの無い足取りで隆平の方へ足を進めてきた。
それにぎょっとした「のり」が咄嗟に隆平の前に立ちはだかったが、それは本当に一瞬のことだった。





「なんだよ、それ。」

至近距離まで近づいてきた九条は、思ったよりも普通だった。
だがそれが隆平の警戒心を一層強める結果になったことを、おそらく九条本人は気が付いていないだろう。

無理もない。

隆平からしてみれば、九条はただの凶悪かつ残忍な敵に変わりない。
ただでさえ生徒指導室の教師に暴力を加え、戦意喪失させたうえ、隆平を守ろうとした教師「のり」を軽いジャブだけで床に沈めてしまった姿を見たら、嫌でも身構えてしまうだろう。

それでも逃げるのは憚られて、隆平はゆっくりと近づいて来る九条から目を離さなかった。

その凶悪な人相は、隆平の顔を見るなり妙に不満げな表情になった。
だが、さきほど「のり」を殴った雰囲気とあきらかに違う。

(な、なんなんだよ…!!)

ドッドッと、胸を叩く心臓の音、緊張からか全身から汗が噴き出る感覚に、隆平は呼吸すら危うい状態だ。
彼からしてみれば、九条から目を逸らさないだけで精いっぱい。

床に倒れたまま、ぴくりとも動かない「のり」を気にかける余裕もない。
九条は制服のシャツに血をべったりとつけたまま、隆平の返答が無いことに微かな不快感を滲ませた。

「答えろ。」

「っ!!」

伸びてきた腕が視界に入って来たときにはもう遅かった。
隆平は前髪を掴まれると、力任せに九条の方へ引き寄せられる。慌てて九条の腕を掴み抵抗するが、びくとしない。

服の上からでも分かる腕の硬さで力の差は歴然だと分かっているのだが、されるがままになるのが嫌で、隆平は思い切り首をそらした。
その際ぶちぶち、と嫌な音が聞こえ、頭皮に鈍い痛みが走ったが、抜けた頭髪は微々たるものだ。

九条の掴んでいる髪の毛はまだ大半が残っており、隆平はなすすべもなく捕えられた。

「コレだよ。」

「い゛っ」

ぎゅう、と額の包帯を押され、びくっと隆平の全身が怯えるように跳ねる。
じくじく頭蓋骨に響くような痛みに、隆平が目をつむって歯を食いしばると、九条の手が離れた。

「言え。」

「な、に…」

ふーふーっと荒い息を吐きながら隆平が涙の溜まった瞳を開くと、至近距離に九条の顔。

言動はひどく荒々しいのに、顔はゾッとするほど冷淡で、感情が欠片もみえない。
それなのにひどく怒っているようだ。
隆平はわけがわからなくて怖くて瞬きもできず、ただ九条の目を怯えたように見据えるほかない。


一体どれほどそうしていただろうか。


隆平か九条か。
どちらかの唇が微かに動いたのと同時に、「いい加減にしなさい!!!」という怒号が職員室に木霊した。
隆平がその声にハッとして九条から視線を外すと、30代前半の女性教師がすさまじい形相でこちらへ向かってくるのが見えた。
さきほど生徒指導室へ真っ先に入って行った1人だった。

「一体あと何人に怪我をさせたら気が済むの!!!」

彼女は頭に血がのぼっているようで真っ赤な顔をしてこちらへ近づいて来る。
後ろにいる教師陣があんぐりと口を開けて見ているだけで、止める者は誰もいない。
目の前の状況に追いついていないのだ。

(やばい)

さっ、と隆平が頭の中でそう思ったのは、視線を戻した先の九条の目に、凶悪な色が浮かんでいたからだ。

激昂した女性教師の手が九条の肩に伸びたのと同時に、自分の前髪からする、と九条の指がほどけていく。

(やめろ)

瞬間、頭で思うのとは全く別に、隆平の身体はそれが当たり前であるかのように、九条の動きを追っていた。


九条の硬い右の拳が女性教師めがけて振り下ろされる。
その右腕に隆平はしがみ付き、全体重をかけた。

「!」

腕を取られた九条が僅かに後ろへ体制を崩したのを見計らい、隆平はするりと彼の脇をぬける。

隆平はなりふり構わず乱れた前髪もそのままに、恐怖で床に崩れ落ちた女性教師へ、突撃するような勢いでその小さな背中の後ろに隠した。

途中で慌てるあまり、ガンガンと周りの机にぶつかり、その上蹴躓いたらしく、隆平自身も不格好にへたり込んでいたが、フーフー、と荒い息を噛み締めた歯の間から洩らし、その目だけは真っ直ぐに九条を捉えている。



「…」


九条はそれを見て、僅かに苦々しい表情をしただけだった。




誰かが息をのむ音が聞こえた。

ガタガタと震える女性教師と、その前で彼女を庇いながら九条を睨む隆平。
もちろん隆平の威嚇がハッタリであるのは明白だ。その証拠に彼女を庇う掌がガクガクと震えている。

それをどこかしら冷めた目でみた九条は、二人を見下ろしながら小さく呟いた。




「…お前、女ならなんでもいいのか」

「…は?」




九条の言葉に怪訝な顔をした隆平を余所に、彼はそのまま隆平が入って来た職員室後方のドアへと向かった。
途中、目についた机を蹴飛ばして物を散乱させる派手な音を職員室に残し、九条は廊下に姿を消した。


「…」


嵐が去った職員室は、しばらくの間しーんとしていたが、九条の蹴った机から、最後のボールペンが床に落ちたのを皮切りに、教師陣が夢から覚めたようにわあ、と騒々しく声を上げた。

「大丈夫か!?」

次々に差し伸べられる手。
女性教師の泣き叫ぶ声。

その声で覚醒したらしい「のり」が丸い眼鏡を上げ下げしながら「何がどうなったんだ?」とキョロキョロと辺りを見渡す。

そして呆然と立ち竦んでいた隆平を見つけた「のり」はその額を見ると顔をしかめて「千葉」と名を読んだ。

「鏡みてみ。」

言われて、近くのデスクに置いてあった鏡を差し出された隆平は、額に巻かれた包帯に血が滲んでいるのを見て、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。

「おい、どうした、大丈夫か⁉」

心配してオロオロとする「のり」に返答する余裕もなく、隆平はじわりと溢れてくる涙に「ちくしょう」と呟いた。
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