好死は悪活に如かず

□好死は悪活に如かず
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大変申し上げ難いのですが、と前置きした医者の薄暗い瞳に、少年は全く勘ぐりせず、ただその言葉を待った。


「伊藤さんの余命はあと半年です。」


まじめ腐った顔で言いはなった医者とは対照的に、余命宣告をされた少年は、あきれるほどのんびりとした声を出した。

「まじっすか」














好死は悪活に如かず















「半年…。」

ぼんやりと呟きながら、伊藤俊輔は暗い道のりを一人歩く。
半年、と言う言葉を頭の中で反芻し、くらがりの中で指を折りながら「ひぃ、ふぅ、みぃ」と数えてみる。

今は四月に入ったばかりの春の盛りだ。
桜並木の間にポツリポツリと点いた街灯にハラハラと桜吹雪が舞う。
指折りされた自分の掌をみつめて俊輔は溜息をついた。

「十月…。」

じゃあクリスマスは無理だな、と俊輔はボーッと空を見上げる。
彼の計画だと夏には彼女ができ、クリスマスには童貞喪失しているはずだったのだが…。
その夢は余命半年という現実の前に脆くも崩れ去ってしまったのだ。

「穢れを知らない清い身体のまま逝かねばならんのか…」

ありえねぇ、とこぼして俊輔は再び溜息をはいた。
やけに冷静な自分にも驚いたが、実際俊輔には余命半年ということよりも、15歳の少年が、どうしたらあと半年で童貞喪失ができるか、ということの方が重要だったのである。
かと言って、実際問題十月までに女を知るというのは、なかなかに難しい。

それというのも、彼の今置かれている状況に問題があった。


整然と並んだ桜並木は長く続き、左手には大きな土塀が聳え、道なり沿って同じく長く続いている。

この道はそのまま進むと約三時間ほどかけて一周できる構造になっていた。
道が大きな敷地をぐるりと囲む様に環状となっているのだ。
お世話になった病院も、この大きな敷地内の一角にある。
何の敷地かというと、それは伊藤俊輔の通う学校の敷地であった。



私立、松下付属高等学院。



全寮制の超エリート学校である。
日本の未来を担う各分野の優秀な少年達が集まる、いわゆる男子校というやつであった。

創立百五十年を迎える伝統と格式のある学校は、ひじょうに閉鎖的な環境で、年頃の少女との出会いはまず皆無。
それもそのはず、学校は山奥のそのまた奥に堅牢な城郭のような佇まいで、山肌に沿うように、ひっそりと鎮座している。
女はいないとは言わないが、教師や学校関係の職員ばかり。それも二十年前のお嬢さんと言うにもおこがましい、熟しすぎた古株が多い。

「右も左も野郎ばっかだし…」

ぐすん、と鼻を啜った俊輔はまたトボトボと桜並木を歩き始めた。

つい数日前、伊藤俊輔はこの松下学園の新入生として入学を果たした。
そして、入学して、健康診断のレントゲン撮影で、左肺に影が見付り、早急に呼び出され、あれよあれよと言ううちに身体の隅々まで調べられ、その結果、余命半年という宣告を受けたのである。

死ぬ、と言う事実よりも先ず頭に浮かんだのが童貞喪失計画の失敗だった。
計画を立て直すにはどうしたら言いのか、と言う事で頭が一杯だった俊輔は、医師の詳しい説明も全く頭に入らず、右から左へ受け流す状態である。

勿論、童貞喪失の可能性が全く無いわけではない。男子校と言えど、恋に身を費やしている輩は多い。
入学して日は浅いが、性に関する情報はすぐ耳に入った。

だが、それは男同士という不毛な恋に突っ走った連中の事を指す。

所謂ホモだ。

「何が悲しくておれの自慢のマグナムを男のケツに突っ込まにゃならんのだ…」

ハァ、と再度重い溜息をついた俊輔は本日、身体測定の際に目撃してしまった少年同士の絡みを思い出してオエ、と顔を歪めて舌を出した。
上半身裸になったクラスメイトの少年同士が頬を染めてイチャイチャとする姿は、見ていて気持ちの良いものではない。

「…まじか」

その時俊輔はそんな言葉を呟いた。
だがその後それを凌ぐ驚きが待っていたとは知るよしもない。



病名は肺腺がん。
肺水が溜まり、末期のがんであるということ。
しかも俊輔ほどの年頃のがんは、ほとんど症例が無いらしい。


まいったな、と頭を掻いた俊輔は学園付属の病院を振り返る。
昨日まで、身体的には何の問題も無く暮らしていたと言うのに。


「入学早々迷惑かけちゃったしな…。」


隣にずっと付き添ってくれていた男が、口を真一文字に結んで隣に座っていたのを俊輔は思いだした。

自分の身体の異常を知らないことが嫌だった俊輔が、自分のかわりに医師から説明を受けた男に病名、症状等の詳細な告知を望んだ際、男は何も言わずに頷いたのだ。


あと半年の命。


そんなことを言われても全く実感が湧かない。
だが学園内に大きな病院が有るというのは不幸中の幸いだった。
本式の治療もここの病院で行うことができるらしく、病院探しの手間がはぶけたのだ。


「通院しながら学校って通えんのかな…。」


性春の希望が潰えた今、少年らしく友情と青春の間に没する、という美しい案が頭を過ぎった。
しかし、ふと思い浮かんだ寮の同室者の面々に、俊輔は顔をしかめて頭をゆるく振った。

「あの」連中と青春を謳歌しようという考えが先ず失敗だ、と遠い目をしてしまう。

だが今から俊輔が向かう先は、自分の寝床である寮であり、俊輔の言う「あの連中」の元なのだ。

「あーマジへこむ。べっこりへこむ。」

「あの連中」の顔と、余命半年、という医者の言葉がまた脳裏を掠めて、俊輔は無意識に肩を落としていた。


夜桜は美しく、煌煌と輝く月の光が眩しくて、俊輔は僅かに目を細める。



伊藤俊輔、15歳の春であった。
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