好死は悪活に如かず

□好死A
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前略。





父ちゃん、母ちゃん。





学校に入って一週間ばかり経ちます。
同室のやつらとはまだへだたりがありますが、これからだんだん仲良くなれればいいなーと思います。

多分話せばいい奴等だと思う。
仲良くなるように頑張るので、心配しないで下さい。

あ、言い忘れたけど






「伊藤君」

「あ、はい。」

「じゃあ、今からがんが脳に転移していないか検査するから。」

「はい。」

「先に造影剤を投与するからこっちへどうぞ。」

「はい。」














おれは、元気です。

















禍を転じて福となす



















「はい!!じゃあこれはどうですか!!!トマトのリゾット!!」

俊輔が見せたレシピに、彼の主治医となった老医師は皺だらけの顔にプルプルとした身体で暫く目の前のレシピを見るとこっくりと頷いた。

「綺麗な赤じゃいのう」

「先生、色じゃねぇんだ。旨そうかって聞いてるの。」

俊輔が書いたレシピの料理完成例の絵しか見えない老医師は俊輔の言葉にうんうん、と相槌を打つとしわだらけの顔をにこりとしてみせた。

「綺麗な赤じゃいのう」

「おーい!!!せんせーい!!!!!」

思わず叫んだ俊輔が思わず立ち上がると、よれよれの白衣に「玉木」と書かれたネームプレートを光らせながら、老医師、玉木文之(たまきふみゆき)は筋の浮いた細い手でデスクの前の蛍光灯に特殊なフィルムを照らしながらうんうん、とまた頷いた。

「がんの転移はなかったよ、佐藤くん」

「…伊藤君です、先生。」

フィルムを外して「おめでとー」と笑った玉木の耳に、隣に居た中年の看護婦がそっと耳打ちするのを聞いて、俊輔はうんざりと顔を顰めてしまった。

昨日、料理で同室者を手懐けてやる、と誓いを立て、真夜中までレシピを考案していたのも束の間。
次の日の朝、本格的な検査のため病院へ行かなければならないことを思い出した俊輔は、慌てて学校に休みの連絡を入れた。

本日はがんが他の部分に転移していないか調べるもので、闘病を二人三脚で行う担当医との顔見せの日でもあった。

緊張はもちろんしたが、それ以上に俊輔の気持ちは弾んでいた。

と、いうのも初診の日、病院内のあちこちで若いナースを見た俊輔は、きっと近いうちにこのムチムチプリンな天使たちと戯れる日が到来すると踏んでいたからである。
むろん、遠目から堪能できるだけでも彼には満足だった。
むさ苦しい野郎ばかりの寮と比べればまるで天国である。
大人の女性と嬉し恥ずかしなスキンシップが計れると、ひどく浮かれていたのだ。
精密検査ということは裸に近いような恰好でナースの前に立つ場面があるに違いない。布越し一枚で女性の前に立つなんて、と俊輔はもやは妙な妄想で頭が一杯だったのである。

彼の脳内のナースというのはガーターベルトにセクシーな下着、という妙な成人向け漫画からの影響が多分にあった。
これまで病院に縁の無かった俊輔の脳内では、病院というところは=エッチな看護婦さん=ムフフな展開、という若干痛い妄想で成り立っていたのである。


だが現実はそう甘くは無い。

「がん、ということで、当院一番のベテランが担当します。」

そう言って紹介されたのが、やせ細り、まるで仙人のような趣のある老医師、玉木文之と、子供を5人は生み、熊を素手で倒せそうな体格の良いベテラン看護婦、山縣(やまがた)さんであった。
それを見た俊輔は正に凍りつく、という表現が相応しいほどに、身体が石化してしまうような感覚に陥ったのは言うまでも無かった。

ちょっぴり小悪魔お注射ナース・・・、という妙な単語が俊輔の頭の中をぐるりとめぐり、瞬間山縣さんに「身体に何処か違和感は?」と聞かれ、そのあまりの迫力に俊輔は「いえ、むしろ落ち着きました」と悟りを開いたような顔で下半身その他が落ち着きを取り戻していくのを感じたのであった。

そして検査の間、結果が出るまでの間暇だった俊輔は家で試行錯誤したレシピの作成に取り掛かりながら、結果報告の際、玉木や山縣にレシピを見せ、冒頭に至る。

「骨シンチグラフィー検査も大丈夫だったし、胸もお腹も異常ないよ、おつかれさまー」

「…どうも」

玉木が全くレシピを見ないので、とうとう諦めた俊輔は椅子に座りなおした。

「あとは治療には抗がん剤グループと経口薬グループがあるけど、データがでてから見当しようね。」

「…はぁ。」

俊輔からは曖昧な返事しか出てこない。
詳しく説明されても俊輔はそれが理解出来るほど大人ではなかった。
それを踏まえて、保護者を連れてくるように、という病院側の要求があったが、学校で彼の保護者となるべき人物は俊輔が伝言を怠ったために、同伴することが出来なかったのである。
勿論俊輔は当日その人物に連絡をした際頭ごなしに怒られ、今度は必ず前もって連絡をするように、と約束をさせられたのだった。


治療を行う、という言葉に対し、俊輔は「余命半年じゃないんですか」と聞き返したが、玉木は「このままだとそうなるねぇ」とだけ答える。

「おれ、助かるんですか。」

きょとん、とした顔をした俊輔に、玉木は「一緒に頑張ろう」とだけ言った。

それを聞いた俊輔は俯いた。
言えねぇんだ、と俊輔は小さく苦い顔をする。これからその治療とやらも漠然としたイメージしかない中で、俊輔はちり、と僅かに薄ら暗いものが胸に過ぎったが、小さく首を振った。

…今は、助かるか助からないか分からないことよりも、重要なことは他にある。

「…先生。」

「なぁに」

「結局、トマトのリゾットとミネストローネ、どっちが良いんですか。」

俊輔が真面目な顔をして、びら、と二枚のレシピを掲げると、玉木はニコニコとしながらうんうん、と頷いた。

「綺麗な赤じゃいのう」

「せんせーーーーい!!!!!」

閑静な病院に響き渡った元気な怒声、勿論それが余命半年の少年のものだとは、そこに居た誰もが思うはずも無かった。
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