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□バレンタイン小説
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2月14日。
時計は15時30分を差していた。






ねえ、やっちゃん。

例えばの話。

12月25日に店頭で売っているクリスマスケーキは、12月26日になると、賞味期限なんて関係なく安くなる。
どうして?
それはもうクリスマスケーキとしての役目を果たさないから!

バレンタインチョコだって同じだよ。
2月14日に店頭で売っているバレンタインチョコは、2月15日になると、賞味期限なんて関係なく安くなる。

それは、金額だけじゃなくって。

バレンタインチョコとしての価値そのものが、下がっちゃうから。



返信。

『関係ない。いいか、あんなものは製菓会社が作った何の根拠もないイベントだ。とりあえず大人しく寝てろ。チョコなら明日でも良いだろう。それに店によっては半額でチョコが買えてお得じゃないか。』




「………お得?」




康高のメールを見た紗希はぷく、と赤い頬を膨らませて一言だけ返事を打つと乱暴に送信ボタンを押した。
そしてそのまま枕元にケータイを放り投げて布団を頭まですっぽりと被ってしまった。

(やっちゃんのバカ!!バカーーー!!!)

あまりに腹が立って、紗希は布団の中でごろごろと一通り暴れまわったが、治まらず、ガバっと起き上がり、ポスポスと一生懸命に枕を叩いた。
しかし急激に動いたせいか眩暈を催し、紗希はそのまま枕元へ倒れ込む。
ガンガンと痛む頭を押さえながら紗希は涙目で「うう〜」と唸った。

3日ほど前から体調がおかしいと思っていたが、まさかここまで悪化するとは思っていなかった。

本日2月14日、聖バレンタインデー。

千葉紗希は風邪により、自宅療養を余儀なくされたのである。

(よりによってバレンタインデーに風邪ひいちゃうなんて…。)

最低、と紗希は半ば放心状態で横になりながら布団を顔まで引き上げた。
本当であれば今日は学校の帰りに、東洋堂のチョコレートケーキを友達と買いに行く予定だったのに。

元来バレンタインの本命には手作りチョコレート、というのが女子の鉄則である。
もちろん女子の端くれとして、紗希も何度か手作りお菓子には挑戦してきたのだが…。
しかし彼女がどんなに丹精こめて作ったとしても、お目見えする完成品は、いつも口頭では形容し難いものとなってしまうのが常であった。

一度思い切って手作りのブラウニーらしきものを隆平と康高にプレゼントしたことがあるのだが、そのブラウニーらしきものを口に入れたまま、康高が「…ブラックプティングか?」と呟き、紗希が3日ほど康高と口を利かなかった事件は今でも恐怖の伝説として語り継がれている。

それぐらいだったら、市販の、おいしいものをプレゼントしたい。

そう思いサーチして、友人に教えて貰ったのが東洋堂のチョコレートケーキだ。
曰く、そのチョコレートケーキをバレンタインに贈るとカップルが成立する、というジンクス付きで。

「…。」

紗希は赤い顔を布団からひょっこり出すと、白い天井を見上げた。
さきほど枕元に投げたケータイを手繰り寄せて時間を見ると16時を少し回ったところだ。
康高からの返信は無い。紗希は静かにケータイを枕元に置くと目を閉じた。




ありふれたジンクス。


二人で笑ってしまったけれど、それでも友人はそのチョコレートケーキを買いに行くんだろう。
好きな人に、想いを込めて渡すのだろう。




紗希はゆっくりと目を開けた。

瞼の裏に浮かんだ馴染みの顔を、白い天井に映した。

本当は悩んでいる。
康高の云うとおり、バレンタインデーなんて製菓会社の作った何の根拠もないイベントなんだ、と紗希は頭の中で考えた。
くだらないジンクスに惑わされず、今日のために作り過ぎて割引されているチョコレートケーキを明日買って渡せばいい。
理屈は分かっている。分かっているのだが…。



「…今日、渡したいよね…。」



それが本音だった。

東洋堂のチョコレートケーキは毎日売っている。
毎日、毎日売っている。
しかし、それは今日渡さなければ意味を成さない。
「ただ」のチョコレートケーキでは駄目なのだ。

店は23時まで開いているが、夜中に出掛けられる筈も無い。

看病のために半休を取ってくれた母親も夕飯の買い物に出かけていて今は居ない。

「…行かなくちゃ…」

紗希はサイドテーブルに置いてある体温計を耳の中に入れ、自分の体温が37.8度であることを確認した。
今朝よりは大分低くなった。
解熱の薬だって飲んだし、これなら少し出かけても大丈夫、と腹を括り、紗希はベッドから降り、パジャマのズボンだけジーンズに履き替えると、いそいそとお気に入りのコートを羽織って、マフラーを首に巻く。
急いで階段を降りた紗希は、咄嗟に玄関の鏡に映った自分に赤面した。
飛び跳ねた髪の毛を撫でるように押さえつけ、紗希はこんな姿で外に出る自分を恥じながら、マフラーに顔を埋めた。
しかし決心した紗希は、しっかりと財布を握って玄関の扉を開けた。







◆     ◆     ◆








「ただいまー。」

「おかえり、隆平。」

「紗希は?」

「まだ二階で寝てる。って、あんた帰るのちょっと遅いわよ。何してたの。」

「康高ん家寄って来た。はい、これ由利恵さんから。」

20時過ぎ、玄関のドアをのんきに開け、会社帰りの親父よろしく手土産を持って帰宅した千葉隆平を出迎えたのは、彼の母親の佳織であった。

「うちの母親が千葉家にバレンタインチョコを用意したらしいから取りに来い。」と、康高に言われた隆平は、「よっしょああ家族以外からワンカウントぉおお!!」と大はしゃぎしてホイホイと比企家へと拉致されたのである。

「康高ん家って竜宮城みてえなんだよな…居ると時間を忘れるっつーかさ…。」

「なるほどね…。で、あんたはその乙姫様から頂いたお土産を開けて、彼女もできないまま年老いて鶴になって飛んでいくわけね。めでたし、めでたし。」

「なんってこと言うんだ!!!」

「今日、チョコ貰えた?由利恵さん以外で。」

腕を組んだ佳織を前に、隆平はハッとして鞄をごそごそと漁ると小さな市販のチョコが数個入ったかわいらしいビニール袋を取り出し、佳織に突き出した。

「…。」

「…。」

「…卒業前、中学最後だからクラスの女子が100円ずつ出し合ってクラスの男子全員分用意しました、みたいな感じのチョコね…。」

「なんで分かるんだよおおお!!!」

「そんな教科書に載るような典型的な義理チョコ貰うなんて…我が子ながら愉快に成長したわね…。」

「鬼畜だ!!あんた鬼畜だよ!!!!」

ワッ、と泣きながら掴みかかってきた隆平を華麗に避けた佳織は、乙姫こと由利恵から貰ったお土産の箱をひったくると、中から漂う甘い匂いをくんくんと嗅いだ。

「この香ばしい中に甘い香り…チョコレートクッキーと見た。」

「あ、返せよ‼」

「心配しなくて独り占めなんてしないわよ。…にしても随分沢山貰ってきたのね…。由利恵さんに後でお礼言わなきゃ。」

「紗希がそのクッキー大好きだからって、いっぱい持たせてくれたんだ。紗希、大丈夫か?元気なら一緒にクッキー食わねぇかな?ちょっと声掛けてくる!」

階段に向かおうとした隆平を見た香織は、咄嗟にその襟首を掴んで制止した。

「何だよ!」

「ちょっと、こっちおいで!」

「え?何で⁈」

「いいから!」

「何だよ、紗希、どうかしたのか?」


ズルズルと引きずれてリビングに連れて行かれる隆平の声。




その声を真っ暗な部屋のベッドの中で丸まって聞いていた紗希は、隆平の声が聞こえなくなると、静かに目を開いて溜息をついた。






4時間前。

出掛けようと思って玄関を開けたまでは良かったが、紗希は強い眩暈に襲われ、そのまま倒れてしまった。
そして数分後、帰ってきた香織に発見されるまで玄関前で動けずに、うずくまっていたのである。

香織は出掛ける準備をしていた紗希の姿を見て唖然としたが、何も聞かなかった。


(お母さんはきっと分かったんだ…。)

バレンタインデー。
きっとチョコを渡したい相手が居たのだと、理解したに違いない。

誰に、ということまでは分からないだろうが。

(…聞かれても答えられないけど…)

ベッドに戻された紗希は自分の浅はかさと同時に、本音に揺れる気持ちに泣いた。


結局ケーキは買いにいけなかった。


分かってるんだ。
くだらないジンクスだって。

たとえ渡せたとしたって、ジンクスなんか関係無いんだと。

それでも渡したかった。

最後のバレンタインデーのつもりだった。
もう、余程のことが無い限り彼と同じ学校に通うことは無いだろう。

諦めなければならない。
ずっと前から分かっている。

泣き腫らした瞳を擦りながら、紗希はぼんやりと重くなる瞼を閉じた。


お母さん、隆ちゃんに話さないで。
心配かけちゃうよ。




隆ちゃん。

どうしたの、って聞かないで。
大丈夫だよ。


何でも無いんだよ。







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