Others..g
□090909
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俺の心の内を、誰も知らない。誰も責めはしない。どうしたって俺の自由。
どうせ無理やりに暴いたところで、べたりとくっついた心の蓋が、粘ついた跡を残して無様なばかりに違いない。
だから、不安や焦燥を自分の中に見つけては見ぬふりをして、俺自身を騙してきた。
自転車のペダルを、前へ前へと漕いだだけで、ここまでやって来た。
それなのに何故、空っぽの音が消えないのだろう。
「竹本くん」
名前を呼ばれて顔を上げる。
しんさんが横に立っていた。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
「いや、いいんだ。それより、眠れないのか?」
「いえ、喉が渇いただけなんです。そしたら、牛乳の期限が今日だったことに気づいて」
「牛乳?」
俺は手に持った牛乳をしんさんに見せるようにしながら、開けっ放しにしていた冷蔵庫を閉めた。
パタン、と音を立てて閉まり、一瞬静かになった後、またすぐに唸りだす冷蔵庫。
「ああ、本当だ。今日っていうか、あと三分くらいしかないね」
しんさんの言葉で、壁にかかった時計を見る。午前零時まであと少しという時間だった。
あと三分で、牛乳の期限が切れる。
「賞味期限が切れる夜の0時に、牛乳はどうなるんでしょうか」
「ん?」
「致命的な何事かが起きるんですかね」
くだらない屁理屈のようなものだ。答えを求めているわけではない。
それでも、しんさんは俺の顔を暫し見つめた後、にっこり笑った。
「飲み比べてみようか」
そう言って、食器棚からグラスを二つ取り出し、俺の手から牛乳を取ってそこに注ぐ。
「はい、竹本くんの分」
「え、あっ、はい。ありがとうございます」
時計を見た。牛乳の危機まであと一分。
グラスの三分の一程度にしか入れられていない牛乳を、一気に飲み干した。
就寝中の乾いた喉に、牛乳はあまり美味しいものではない。牛乳が口の中に残る。
「うーん、水が飲みたい」
しんさんも同じだったようで、空になったグラスを水道で洗い流し、そのまま水を注いで飲んでいる。当然、俺も続いた。
「さて、何事か起きたかな?」
「あ、俺が入れます」
「ありがとう」
「いえ」
牛乳の期限が切れて一分。今度は俺が二つのグラスに牛乳を注いだ。
さっきと同じだけの量を、また一気に飲み干す。潤った喉を、牛乳は滑らかに落ちていった。
「さっきより美味しくない?」
「さっきより美味しいですね」
二人で静かに笑う。
牛乳は危機を脱したようだ。
「まだ飲んでも平気かな?」
「もっと美味しいかもしれませんよ」
「はは。そうかもしれない」
「しんさん」
「何?」
「俺は、まだ走らなきゃだめですか」
「……」
「まだ自分を信じられると思いますか」
地の果てまで行こう。
俺は自らと約束を交わした。
あえて言えば「走り続ける」という、青臭い約束。
「君の自転車をメンテナンスしなくちゃね」
「はぁ」
「溜め息?」
「深呼吸です」
「うん、よし」
しんさんは満足そうに笑って、俺の頭を撫でた。
空っぽの冷蔵庫の音が、遠い耳鳴りのように消えやしない。
(Walker)
後書
自分探しの旅中の竹本くん。
悟らせ役は棟梁なので、しんさんは力不足気味にしてみた。
竹本くんは、ウォーカーというよりライダーだけど、まぁいいよね。
20090909