忘れられない光景がある。
あれは夢だったのか。










まだ小学校の低学年だった俺は、学校に行く前に犬の散歩に出掛けた。
確か、6時になっていなかったと思う。
前日の夜は、雨が降って肌寒かった。
朝日が昇り、気温が上がると白い霧がかかって、幻想的な雰囲気を漂わせていた。

家の近くの公園に、誰かが佇んでいた。
背格好から、同じ小学生くらいに見えた。
咲き始めたばかりの、紫の小さな花を、一人静かに眺めているようだった。
俺は、近づくことも声を掛けることも出来ず、その場で動けなくなってしまった。
目が、離せない。



「ワンワン」



連れていた犬が鳴いた時、驚いたように、透き通る白い肌と華奢な体をしたその人が振り向いて、一瞬、目が合う。
漆黒の瞳に吸い込まれる。
視線が下がり、ふわりと笑った。







気がつくと、走り去っていた。
動悸が納まらない。
走ったせいじゃない。

落ち着いてくると、ひどく後悔した。
あのままあそこにいたら、何か会話することが出来たかもしれない。
でも、こっそり覗いていたのを見つかったような気がして。



「お前、何で吠えたんだよ」



悪くないそいつに、文句を言う。
もう少し、見ていたかった。
誰だろう?
同じ学校には、いないはず。













それから、毎朝あの公園を通ったけれど、二度と会うことはなかった。
俺はそのまま中学・高校と進み、ありふれた毎日を送っていた。










今日は、転校生が来るらしい。
昨日から、その話で持ち切りだ。
男なのか女なのか、どんな子だの、どこから来るだの。
どーだっていい。
かったるいから、机に突っ伏して寝ていた。
皆、俺を起こすと機嫌が悪いことを知っているから、誰も話し掛けてこない。
都合がいい。

バコン。



「こらっ、小野瀬」

「イッテーナ!」



角で殴りやがった。
信じらんねぇ。



「いつまでも寝てるんじゃない。転校生の井上くんだ。お前の隣で大丈夫かなー?」

「だったら、違う奴の隣にしろよ」

「お前の隣がちょうど空いてるんだ。頼んだぞ!」

「へーへー、わっかりやした」



ったく、面倒な事に巻き込まれたもんだ。



「あのぉ、小野瀬くん?何かごめん。よろしくお願いします」

「あぁ・・・」



話し掛けられて、初めて井上とかいう転校生を見た。
時間が止まる。
8年前のあの日が蘇る。
あの時の?



「な、にか僕の顔についてます?」

「あんた昔、」

「?」

「いや、いい」



何となく面影がある気がしたけど、人違いか。
本人だったとしても、俺のことを覚えているわけがない。
すぐにあの場を去ったんだから。
それにしても、よく似ている。
もしあの時の子が彼なら、運命とか感じちゃってもいいんだろうか?











小学3年の春だった。
共働きの両親の負担をなくすため、おばあちゃんの家がある、この近くの病院に入院していた。
3ヶ月程度のことだったと思う。
あの日は、退院出来ることになり、病室から見えていた公園に咲いていた花を見たくて、早起きして向かったんだ。

人が来たことには全く気付かなかった。
犬の鳴き声がして振り向いた時、その少年の真っ直ぐな瞳に胸が高鳴って。
慌てて視線を外して、勢いよく尻尾を振っている子犬を見たら、何だか、もう一人の彼を見たようで、自然に笑みが浮かんだ。
男の子はすぐに走り去ってしまったけれど、ずっと忘れられなかったんだ。
でも、もう二度と会えないと思ってた。

高校に入学してすぐ、また体調を崩した。
懐かしい、おばあちゃんの住むこの町に来ることになって、嬉しかった。
今度は、1ヶ月程で退院出来たけど、通院しやすいこの学校に編入することになって、淡い期待を抱えながら教室のドアを開けた。

まさか、本当にいるとは思わなかった。
大きく膨らんでいた期待は、彼を見た瞬間、そのまま恋心へと変化して僕を包み込んだ。







これは、奇跡?







二人を繋ぐ長い長い赤い糸を、お互いに手繰り寄せたんだ。
今日は、隣の席なのを口実に、一緒に帰ろう。
あの公園で、紫色の小さな花を差し出したら、あなたは気付いてくれるかな?



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