週間ピックアップ城




毎週、全国の城郭の中から一城紹介していきます

※このコンテンツは廃止しました。



[書込]


04/08(Sun) 02:07
☆上田城☆
館長

徳川を二度苦しめた真田氏ゆかりの名城!!城には現存の西櫓、近年の整備により東虎口門が復元されその両脇に市内に移築現存し遊廓に使用されていた北・南櫓が城内に戻り、今に威光を放っていますが今の遺構は仙石・松平氏時代のものでは無いにも係わらず未だ地元の真田人気は衰える事を知らず、私もこよなく真田を愛する一人であります。
 さて現在、新たな復元整備が計画されており櫓や城門、虎口の桝形、二之丸の百間堀までもが発掘を基に復元される事になり城内に散在する公共施設が城外に移転し城の景観が良くなり、城跡から城に戻る日も近い!

[レスする]
SH900i
[削除]

04/01(Sun) 02:56
大分城[府内城]
館長

府内城は築城当時、今の約15倍ほどの城域がありましたが、今も市街化を避け天守台、本丸、二之丸、西之丸、東之丸、山里丸とそれらに伴う水堀が良く残り、宗門・人質櫓の二棟の櫓と土塀が残る他、復元された西之丸西南隅・東之丸西南隅・東北隅・大手門等が立ち並び、堀に浮かぶ姿は府内城がもつ美しさです。
また、府内城は古式な部分を多く見せる城で、その一つとして、城外から見たら平櫓である宗門櫓は、なんと城内から見たら二重、人質櫓以外の二重櫓は城内からは三重に見えてしまうのだ!それは、城内に地階を設けているからであって、古くは多用されました。

[レスする]
SH900i
[削除]

01/22(Mon) 22:37
‡桑名城‡
管理人

行綱が城を構えたとも伝わるが定かでは無い。天正19年(1591)に一柳直盛が築城し伊勢神戸城の古材を多数使用した。その後本多忠勝が改築、今に見る桑名城が完成し四層の天守と四十一基もの櫓を挙げた。 現在桑名城は、明治時代に四日市港建設の為に石が運び出され内郭の石垣は残っていないが本丸・二之丸・三之丸の郭跡と濠は大部分残っていて、石垣も三之丸の石垣は大部分残っている為、これらに城跡を偲ぶ事が充分出来る。 建物は全く残っておらず、移築された櫓も空襲で焼けたりして何一つ残って無いが平成15年に揖斐川に面して蟠龍櫓が復元された

[レスする]
SH900i
[削除]

11/15(Wed) 19:02
★☆大坂城☆★
山本兵部大輔
 ┣ちぇーん
 ┗顕親

現在の大坂城は徳川によって寛永六年(1629)に再建され、秀吉時代の物は全て埋まっているにも関わらず、市民には今だ太閤さんの城として親しまれている。現在の天守は三代目で二代目徳川天守は白亜総塗籠の純白の城だった。それに対し秀吉の天守は黒漆による真っ黒な城だった。現在の天守は昭和六年に再建された鉄筋コンクリート建築で、徳川天守台石垣の上に秀吉時代の天守を再建し、各層の下部のみ黒くしあとは全て白壁となっている
縄張りから、築城以前に古墳があったといわれる。
明治期の古写真に写る本丸の三重櫓群の姿は圧巻である!!

[レスする] [レス見る]
SH900i
[削除]

11/04(Sat) 23:42
☆彦根城〜金亀の名城!
山本城乃助

車で来ると結構離れた場所からも天守を望む事が出来る。街中を走っていても、三成に過ぎたる物の一つ佐和山城が見える。佐和口多聞櫓側から入ると大きな厩を見れ、この前に架かる表門橋から少々登山。数分のうちに天秤櫓の前に出る。二層の櫓が釣り合っているように見えるから天秤櫓と言うが、この櫓を始め石垣や建物の殆どを佐和山・大津・小谷・長浜城等から移築したと伝わる。現在は見る影も無いが佐和山城は五層の天守があがっていたと伝わる。
彦根城の天守は現在国宝指定。破風飾りが多いのは大津城の四層天守を三層に縮小して移築した為だ。

[レスする]
SH900i
[削除]

[先頭へ]
[戻る][次へ][TOPへ]
[書込]
[カスタマイズ]



©フォレストページ