週間ピックアップ城




毎週、全国の城郭の中から一城紹介していきます

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10/22(Sun) 16:07
☆伊予松山城
藤原城之助

春や昔十五万石の城下哉…(正岡子規)
夏目漱石や正岡子規も見たであろう松山城は今でも変わらない姿を見せている。むしろその頃よりも建物が復元され、頂と麓の櫓と土塀が本丸の天守曲輪を引き立たせている。加藤嘉明が26年もの歳月をかけて南北に二つある峰を平にし高石垣を築き、戸袋型の石落や総数二千を数えたと云う狭間等、重防備な姿を今によく伝えている。
五層天守の天守台に嘉永五年(1852)に松平定行が三層天守を再建した為横に広くずんぐりした形になっていて石蔵には二千俵も蓄えられる。この時、櫓・門・土塀も再建され重要文化財指定です

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SH900i
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10/15(Sun) 14:30
信州の黒き名城−松本城
藤原城之助

松本盆地の真ん中に黒くて重厚な天守が聳える。
黒漆喰で武骨な感じではあるが、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓が連結する複合連結式天守が堀に映える姿は何とも言えない気持ちにしてくれる。昔は望楼型だったが寒さ対策の為に層塔型に改変したという通説は東北ならではの話である。二之丸金蔵も珍しい現存遺構で何故か堀に向かって建っている。それは本丸に向かって仮木橋があった為だ。
復元された黒門桝形・太鼓門桝形が現存天守と見事にマッチしている。御殿とぐねぐねに折れ曲がる屏風折塀も復元されるので楽しみである。

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SH900i
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09/17(Sun) 21:59
伊勢國玉丸(田丸)城
藤原城乃助

大手門石垣を横目に進んで行くと奥に二之門の桝形が見え、両方濠が囲んでいて、城に来た気持ちを高ぶらしてくれる。右に進むと坂があり、坂を登ると本丸に至り、登らず進むと二重の濠と、蔵が現存する田丸神社が在ります。本丸虎口桝形には発掘で出土した側溝・門礎を見れます(そっくりそのまま表示している)本丸はだだっ広く、天守台がどしっと構えています! 因みに富士見門と三之丸奥御殿の一部、門が多数移築現存している。

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SH900i
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08/28(Mon) 14:58
大和郡山城
藤原城乃助

先ず、この城の印象に触れると、今は無き豊臣時代の大坂城がどんなものであったのか、この城が彷彿とさせてくれる。同じ輪郭式城郭であり、大坂城の三段の本丸の如く天守台を含めて本丸・天守曲輪の三段石垣が大坂城っぽいのだ。
この城は筒井順慶時代に整備し直され順慶死後、豊臣秀吉の弟、秀長が大和・紀伊・和泉100万石に命ぜられ、威信をかけて現在に見る城郭に仕上げた。

幕府も畿内要の郡山城には代々徳川家の重臣を置いた。

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SH900i
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06/22(Thu) 20:39
山形城
城乃助

「最上百万石」と謂われた山形城では現在本丸の復元工事の真っ最中!!
詳しくは不明だが、明治期に壊された石垣を復元してる事は判明。平成2年に東大手門・櫓を復元する等復元にかなり意欲があると言えよう。
さて、この城の築城者は斯波兼頼が金井庄に居城を構えた事に始まり、後の最上氏とは斯波氏が地名に因んで名乗った名。
最上家は大大名になり、城も三重に堀が廻る巨城になるも最上騒動で改易、水野忠精が五万石で入封した時、百万石とも謂われた城の維持は全く不可能だった

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SH900i
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