小説2

□夫婦ごっこ
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鷹士は今、非常に困っていた。

「桜川さんなら〜、ベランダの広いBタイプのお部屋と、リビングの広いCタイプのお部屋、どっちがいいと思いますか〜?」

「あ、えっと、そうですね、どちらも一長一短だと思うんですが。ベランダが広いと洗濯物が多い時などに助かりますし、リビングが広いと団欒時にゆとりがありますし……この辺りは住む人の好みによるかと思います」

「だから〜、桜川さんの好みはどっちですか〜!?」

「わっ……私は、洗濯物が多く干せると助かるかな……と思いますが」

「え〜、桜川さんって、見かけによらず家庭的なんですね〜! 意外だけど、素敵〜!」

そう言って、女性は小首を傾げて媚びる様な笑顔を見せた。その向うで、男がつまらなそうに口を尖らせている。

鷹士は愛想笑いを返してから、首を逸らせて小さな溜息を吐いた。



* 夫婦ごっこ *



日曜日。

普段ならお休みで、愛しのヒトミとベタベタ幸せな時間を満喫しているはずのこの日に、急遽休日出勤となってしまった。

原因は、駅前に建設中のファミリー向け高級マンション。
立地の良さで人気を集め、桜川不動産でも現在一押しの物件となっている。

発売はもう少し先だが、既にモデルルームの見学会は始まっていて、見学希望者が後を絶たない。

本来鷹士の担当ではなかったが、今日は担当者が所用でどうしても休日出勤出来ず、お客さんも今日しか都合が付かないという事で代理で案内する事になった。


取り合えずそこまではいい。


お客さんは、秋に結婚するので新居を探しているというカップル。

駅前で待ち合わせをしたのだが、鷹士が2人を見つけて挨拶した瞬間、女性の目の色が変わった。
漫画的な表現で言えば、目がハート型になってしまったのだ。
男性の方も婚約者の変化に気付いて、鷹士を見る目に微妙な敵愾心が含まれている。

これは不味い。実に不味い。

相手はお客さんだ。しかも結婚の決まっているカップル。つまらないトラブルは起こしたくない。

鷹士は何も気付かない振りで淡々と仕事をこなそうとしたが、部屋を見学していても彼女の関心はマンションよりも鷹士に向いてしまっていた。

「桜川さんて趣味とかあります〜?」
「いえ……特に……あ、あえて言うなら料理とかお菓子作りですね。よく『男らしくない』って言われますよ……ははは」

女々しい部分を見せて自分を落とそうとしたのだが……

「え〜! お料理出来るなんて素敵〜!! 桜川さんの作ったお菓子とか、食べてみたーい!!」

完全に裏目に出た。

女性は胸の前で祈るように両手を組みキラキラした目で鷹士を見つめている。
男の方は完全に膨れっ面だ。今すぐ怒鳴りだしてこの場を立ち去っても不思議ではない、そんな顔をしている。


―― 止むを得ない。こうなったら最終手段だ。


「まあ、……妻には結構重宝されてます」

「「え?」」

2人が目を丸くして同時に鷹士を見た。

鷹士は嘘をついた後ろめたさと、『妻』という言葉の照れくささで、少し恥ずかしそうに頬を掻く。
もちろん『妻』と口にした瞬間、脳裏に浮かんだのはヒトミの顔だ。

「桜川さん、結婚されてるんですか? 指輪してないじゃないですか!?」
「あ、今日はちょっと忘れてきちゃって。朝、顔を洗った時に洗面台に置いたままで、帰ったら怒られますね」

なんだ、語尾を延ばさなくても喋れるじゃないか。
さっきから気になっていた女性の喋り方に突っ込みをいれながら、しかし表にはそんな事欠片も出さず朗らかに笑った。

「そうですよね! 桜川さんみたいなイケメンが、独身の訳ないですよね!」

それまで殆ど言葉を発してなかった男性が勢い付いて明るい声を出す。しかし、今度は逆に女性の方が不機嫌そうに唇を尖らせた。


―― どちらにしても、今日の仕事は失敗かもしれない。すまん! 木ノ内君!


木ノ内というのは本来の担当者の名前だ。鷹士は心の中で彼に頭を下げた。




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