小説2

□栄養剤
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唇に触れる優しい温もり。

ヒトミはゆっくりと重い瞼を開いた。

「おはようヒトミ! もう起きる時間だぞ?」

ぼやけた視線の先には、いつも通り鷹士の笑顔。

「ん〜……おはよう、お兄ちゃん」



* 栄養剤 *



目覚めたばかりの瞳に朝の光が眩しい。この様子だと外は今日もいい天気なのだろう。
ヒトミは明るさに慣れる為、2、3度瞬きをしてから気だるげに目を擦る。
それからなんとなく甘えたい気分になり、兄に向かって両手を伸ばした。

「起こして〜」

肌に触れる空気が冷たい。それを温める体温に期待したのだが……

「あはは。ほら、早く起きないと大学に遅れるぞ?」

鷹士は優しく笑うとそのまま部屋を出て行ってしまった。

あれ?

一気に眠気が飛んだ。ヒトミは大きく目を瞠ってガバッと身体を起こす。

何!? 今のそっけない態度は!?
当然いつもの様に「甘えんぼだな〜」とか言いながら、デレデレと鼻の下を伸ばして抱き起こしてくれると思ったのに。

別に喧嘩はしていないし、昨夜もいつもの様に甘い時間を過ごして眠りについた。記憶を手繰ってみても鷹士を怒らせる様な心当たりは何一つとして無い。

「……ぐ、具合でも悪いのかな?」

抱き起こさないくらいでここまで言われるってのも何だが、鷹士の普段が普段なので仕方が無いだろう。

釈然としない気分のまま、ヒトミは軽くシャワーを浴び、着替えてダイニングへ入った。
テーブルの上には既に朝食の準備が整っている。

桜川家の朝食は和食・洋食の決まりがなく、作る者のその日の気分でランダムだ。勿論リクエストがあったらそれに応えるが、今日は特にどちらがいいとも言っていない。

今朝は洋食だった。トースト、オムレツ、ソーセージ、サラダ。
焼けた卵やソーセージの香ばしいかおりが食欲をそそる。

「今スープ持っていくから、食べてていいぞー」
「うん、お先に」

ヒトミは椅子に腰かけ皿からトーストを取りあげた。
ヒトミが食卓に着くタイミングに合わせて焼き上げたのだろう。まだ温かいそれにバターを塗り始めた時、鷹士がスープを持って来てくれた。

そこでヒトミは2つめの異常に気付く。

「あれ? お兄ちゃん、今日会社は?」

鷹士のエプロンの下は部屋着だった。
この時間なら普段はもうワイシャツにスラックス。そうでないと、朝食の片付けをしてたら会社に間に合わない。

「ああ……言わなかったっけ? 今日は代休なんだ」
「代休?」

ヒトミは小さく眉を顰めた。
最近、鷹士が休日出勤をした事なんてあっただろうか?

「あ、ああ! だから今夜はヒトミの好きなもの何でも作ってやるぞ〜! 何が食べたい?」

ヒトミの訝しげな表情に気づいたのか、鷹士は誤魔化す様に笑って必要以上に明るい声を出した。

―― ますます怪しい。

無言のままジッと見つめるヒトミの視線に耐えかねたように、鷹士は苦笑して頬を紅潮させると目線を外した。

「そ、そんなに見つめられたら兄ちゃん照れるだろ? ……ほら、早く食べないと遅刻するぞ」
「……うん」

まるで睨みつける様に兄の顔を凝視したまま、ヒトミはトーストを口に運んだ。



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