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□君によく似た花
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『十四郎さんの…側にいたい』


「………っ!!」


がばっと身を起こした途端、背中を一筋の汗がつたった。


汗で額にはりついている前髪をかきあげて、長い溜息を吐く。いまだにこんな夢を見る自分が女々しく思えて、ゆるゆると首を振った。


未練たらたらってやつですか。もう吹っ切れたもんだと思っていたが、実はそうでもないらしい。俺がここまで諦めの悪い男だとは思わなかった。


全身にじっとりとかいた汗のせいで着物が肌にまとわりついて鬱陶しい。


部屋の中はまだ薄暗く、枕元の時計は四時半を指している。もう一度眠る気には到底なれず、どくどくと痛いほどに打っている心臓の音に居た堪れなくなって、一っ風呂浴びようと部屋を出た。


明け方のほんのり冷たい空気が汗を冷やしていく。そのおかげで頭も冴え、脳に焼き付いたあの儚げな笑顔も鮮明になる。夢で見た、あのちょっと困ったような、泣くのを堪えているような笑顔じゃなくて、ふんわりと優しく笑った顔。


これはそう簡単に忘れてしまえるものでは無いようだ。諦めて、こめかみを押さえた。


すると、足元の床がかすかに振動した。顔を上げる。辺りは薄暗いが、夜目のきく俺には、向こう側から歩いてくる人影がはっきりと見えた。


前屈みになって目元をこすりながら近付いてくるその人影は、着流し姿の近藤さんだった。


いつもの覇気が無く、猫背気味になっているせいか、大きな体が小さく見える。どことなく声をかけづらいオーラを身にまとった近藤さんは、何かを察知したのか、ふっと顔を上げて、「あ」と声にならない声を上げた。


その顔を見た途端、俺の心臓はどくんと跳ね上がる。近藤さんの目は、泣き腫らしたように赤く腫れていた。


「ト……シ」


「おう。おはよう」


その赤い目には気付かないふりをして、俺は軽く右手を挙げた。近藤さんは泣き腫らした目を隠すように左手で寝癖のついた前髪を触りながら、小さな声で「おはよう」と呟いた。らしくない。


「どうした近藤さん。えらく早起きじゃねーか」


本当は放っておいてやるのが一番いいんだろうが、やっぱり放っておけなかった。お節介だと知りつつそう訊ねると、近藤さんはしばらくいじいじと前髪を触っていたが、急に力が抜けたようにだらりと腕を下ろして、ぽつりと呟いた。


「夢を、見た」


「夢?」


「ああ」


「俺もだ」


俺がさらっと言うと、近藤さんは顔を上げて俺を真っ直ぐ見詰めてきた。赤い目を直視するのは辛いが、その視線を受け止めてやる。言わなくても分かる。近藤さんも、あいつの夢を見たのだと。


「今日は…ミツバ殿の」


「誕生日、だな」


「…覚えてたのか」


「だからあいつの夢見たんじゃね?」


「そうかもしれんな」


にっと笑ったその顔に、俺の口角もつり上がる。あいつの話題でこうして笑い合ったのは初めてかもしれない。たいてい、俺の方から避けていたから。なんだか今日は特別だ。


「俺、これから風呂行こうと思ってたんだけど」


「奇遇だな、俺もだ」


「なんだよ、近藤さんもかよ」


「ついでに目も冷やす」


「ああ、やべえぞその目。真っ赤」


「しょうがないだろー」


拗ねたようなその口調に思わず噴き出すと、近藤さんもにやりと笑った。そのまま二人でけらけら笑っていると、偶然通りかかった山崎(いつも朝早く起きてミントンの素振りをしている)がぎょっとしたように目を見開いて固まったのが面白くて、また二人して笑った。














それから風呂入って朝飯食って、会議出て書類片付けて、現在総悟と一緒に見回り中。


江戸は今日も平和だ。すれ違う奴等はみんな笑ってやがる。と思ったら、自然と俺の目が笑顔の奴に吸い寄せられているだけだった。無意識のうちに、通りに溢れる笑顔の中にあいつの顔を探していたようだ。


いるわけ無いのに。


総悟は隣で黙ったまま歩いている。見回りだというのに、地面をじっと睨みつけたまま顔を上げようとしない。いつもはふらふらと俺の一歩手前を歩きながら、団子屋を覗いたり駄菓子屋に入って駄菓子を買い込んだりしているのに。


おとなしくしてくれるのは嬉しいが、正直言って不気味だ。ふらふらされると腹が立つはずなのに、いつの間にかそれが俺の中で普通になっていたらしく、えらく落ち着かない。慣れというのは恐ろしいものだ。


通り過ぎる、笑顔、笑顔、笑顔。


隣を歩く総悟は、仏頂面。


頭の中のあいつは……ああ、またかよちくしょー。


「総悟」


「………」


無視かよ。


口元がぴくっと引きつる。むかついた、あーむかついたぜ。


ぐいっと襟首を掴んでやると、ぐえっと呻き声をあげて総悟は恨めしそうに見上げてくる。


「いきなりなんですかィ」


「うっせ、おめーが無視すっからだろーが」


「いつもはべらべらうるせえだの、ちったァ黙れだの言ってくるくせに」


「だからってだんまりは極端だろーが。適度に喋れ」


襟首を放してやると、両手で襟元を直しながら舌打ちする。生意気なその態度に腹が立つ反面、こいつも今日がなんの日か分かっているんだろうと思うと、いつものように怒鳴れなかった。


まだまだこいつも、子供なのだ。


「総悟、今日はもう見回り切り上げて、ちょっと土手歩かねえか?」


努めて軽くそう提案すると、総悟は思いっきり嫌そうな顔をしたが別に異を唱えてはこなかったので、足を止めて踵を返す。渋々といったように総悟も進行方向を変えたのを確認してから、再び足を踏み出した。













まだまだ昼間の青い空が頭上に広がる中、久し振りに土手を歩く。道の脇には雑草が生え、撫でるような緩い風に吹かれてゆうらりゆうらり揺れている。


その、喧噪とは程遠い、のどかで素朴な温かさに満ちた土手の風景は、武州の田舎を彷彿とさせて、懐かしさに思わず目を細めた。


総悟は俺の隣を離れ、一歩手前を歩きながら、なかなか上手な口笛を吹いている。さっきまでの刺々しいオーラはどこへやら、いつも通りの飄々とした少年は、俺の前をのんびり歩く。


「土方さん」


「なんだ」


「あんた、覚えてますかィ」


「何をだ」


「いや…覚えてないんなら、いいです」


歯切れの悪いその言い方に、ぴくりと眉が動く。


「言ってみろよ。気になるだろ」


総悟の華奢な背中を見つめながら促すが、総悟は黙ったままとぼとぼと歩いている。ちょっと前に傾いた栗色の頭。わしゃわしゃとかき回してやりたくなるが、ぐっと堪えた。


すうっと砂を含んだ温い風が顔を撫で、目に砂が入る。ぱちぱちと瞬き。じわりと涙が滲む。


顔を上げると、総悟がこちらを見ていた。その赤みがかった瞳も涙で潤んでいる。俺と同じように砂が入ったか。


「今日は、姉上の……誕生日でさァ」


そう言ってすぐに前を向き、目をごしごしと乱暴に擦る総悟に、目ェ擦ったらだめだぞ、とか、髪くしゃくしゃになってんぞ、とか、そんな温い言葉はかけられなかった。


こんなときでも、俺に涙は見せない。いや、俺に限らず、他の誰でも見せないだろう。近藤さんは別かもしれないが。


とにかく、意地っ張りで可愛げがなくて、生意気なクソガキ。


こういうときぐらい、思いっきり泣けばいいのに。


しかしこいつは涙を見せないだろうと思う。唯一、自分を素直にさらけ出して甘えられる相手は、もうこの世にはいない。だから、悲しみも苦しみも痛みも全部、一人で背負っていくんだろう。


強くならなきゃ、いけないから。


そんなこと思う時点で、もうこいつは十分強いと思うけど。


「覚えてるよ」


そう言ってやると、総悟はあっそ、と掠れた声で呟いた。


ふっと視線を落とすと、道の脇に生える雑草の中に、一輪の白い花を見つけた。名前なんか知らない、どこにでも生えていそうな地味な花。


しかし、ゆるゆると吹くかすかな風に揺れているさまは、あいつがちょこんと首を傾げているようで。


薔薇のような華やかさは無い。向日葵のように目立つわけでもない。


ただ慎ましく、雑草の陰に隠れて遠慮がちに首を傾げているその花は、俺の目にはとてもきれいに映った。


気付けば総悟もその花を見ていた。歩くスピードが鈍くなる。


じっと視線は花の上から動かないまま、足だけが機械的に前へ進む。完全に花を通り過ぎ、何かをかみしめるようにぎゅっと目を閉じてから、総悟は再び視線を前に向けた。


俺は最後にもう一度だけ、こっそりと振り返る。


雑草の隙間から見えた白い花は、楽しげに声をたてて笑うように、ふわふわと花びらを揺らしていた。










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一応ミツバさん生誕祝い小説です。

が、あんまそれっぽくないですね(汗

当初は、武州時代のと現行で二本書こうと思ってたんですけど、テストやらなんやらで結局一本しか書けませんでした(泣

また機会があれば、武州の幸せなミツバさん書きたいです。


ミツバさん、お誕生日おめでとうございます!



(2009.5.26 緋名子)

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