(short)

□シーラカンス
2ページ/3ページ

「え、マスター、これ」


「お客様は、甘い物がお好きでしょう」


面食らって見上げると、マスターは自信ありげな笑みを浮かべていた。土方と顔を見合わせる。やっぱり土方もぽかんとしていた。


「坂田銀時さん」


「えっ」


唐突に名前を呼ばれて、勢いよくマスターに視線を戻す。金縁眼鏡の奥で瞳をいたずらっこみたいに細めて、マスターは首を傾げた。


「おや、違いましたか?」


「ち、違わねえですけど……え、あれ、どっかでお会いしましたっけ?」


「いいえ。初対面です」


にこにこしながらそう言ったマスターに、俺は再び恐怖を感じた。助けを求めるように土方を見る。だが、土方はマスターの顔をじっと凝視したまま、何かを考え込むように険しい顔をしていた。


「なあ」と土方がマスターに声をかけた。眉間に深い皺。その声は、地を這うように低い。「マスター、あんたその頬の傷、いつできたんだ?」


言われてみると、たしかにマスターの右頬に、何かで切ったような古い傷跡があった。柔和なマスターの顔には似つかわしくない、物騒な傷跡。今まで気付かなかったのが不思議なくらいに、目立っている。マスターはカップを拭く手を止めて、一直線に盛り上がった傷を指でなぞった。


「これ、ですか」


「ああ。随分古そうな傷だが」


「ええ、まあ」マスターは少しためらった後、カップをカウンターに置いて、観念したように「昔、戦で」と小さく吐き出した。土方の目の色が変わった。


「戦って……攘夷戦争か」


じょういせんそう。その言葉の響きは、あまり耳に心地いいものじゃなかった。なぜか罪の意識を感じながら見上げると、マスターもなんとも言えない笑みを浮かべていた。


「あんた、攘夷志士なのか」


「過去形ですよ。攘夷志士でした」


「本当だろうな」


「攘夷志士なんか、大金積まれたって二度とやりませんよ」


言葉は冷たいけど、攘夷志士に対する嫌悪感は感じられなかった。俺だって同じだ。攘夷志士なんか、二度とやるもんか。訊かれたら、きっとそう答える。


マスターの気持ちが痛いほど分かる俺は、目をつりあげてマスターを質問攻めにしている土方の肩に手を置いて、まあまあ、と宥めた。


「今はこうして普通にマスターやってる、善良な市民だぜ。善良な市民っつったら、てめえらが護らなくちゃならねえ対象だろうが。そうケンケンするなよ」


「うるせえな」


肩に乗せた手は勢いよく払いのけられたが、とりあえず土方は口を閉じた。浮きかけていた腰は、また椅子に沈む。俺はパフェが溶け始めていることに気付いて、慌ててクリームをすくった。絶妙な甘さに、うーんと唸る。うまい。


「じゃあ、気配薄いのもそのせいか。クセんなってるんだ」


「自分ではそのつもりはないんですけどね」マスターが弁解するように言う。「でも、やっぱり昔のクセが抜け切れてないみたいで」


「あー、やっぱそういうもんすよね。分かるわあー」


「てめえがいつ気配を消したんだよ」


「いざという時に」


馬鹿じゃねえの、と鼻で笑われたが、俺は無視してクリームを口に運んだ。ちょっと寒くなってきたな、と思った途端、はかったようにカフェラテのカップが差し出されて、感心する。カップから立ち上る柔らかい湯気は、身も心も温めた。


「坂田さんのことは」マスターは懐かしそうに俺の名前を口にした。「仲間内でもよく話していました。すごい若者がいるらしいと」


そこで、ちらっと土方を一瞥して、戸惑いがちに言った。


「あの時代は、信じられるのは志を共にした仲間達だけでしたから。そんな中にね、向かうところ敵無しの、馬鹿強い侍がいるっていうじゃないですか。その化け物じみた強さ故に、敵からも味方からも恐れられる鬼神。髪が真っ白だから、白夜叉なんて呼ばれてるらしいって。白夜叉。もう名前からして強そうですもんねえ。心強かったですねえ」


俺は苦笑するしかなかった。


「今では自慢にもなりゃしねえよ。負け犬の名前だ」


マスターは悲しそうに笑った。土方がスプーンで真っ黒のコーヒーをかき混ぜている。砂糖の袋は見当たらなかった。だが、カチャカチャいう音は有難かった。


「お客様の髪は、白というよりも銀色ですね」


ふいに、マスターが俺の髪を眺めてぽそりと呟いた。俺は「白って言う奴もいりゃ、銀って言う奴もいる」と肩をすくめた。


「まあ、銀って言われる方が気分はいいな。俺まだ白髪生えるような年じゃねえし。ストレスも、まあ……たまってねえかな。ガキどもの世話は大変だけど。まあまあ楽しいし」


言いながら、パフェを口に運ぶ。マスターは楽しそうに微笑んでいた。白夜叉のくせに甘い物が好きなんて、と思っているのかもしれない。たしかに恰好はつかねえけど、恰好つけたいがために甘い物を捨てるなんて考えられねえ。情けねえのかな、こういうのって。半ばやけになって、クリームがたっぷり乗ったウエハースをばりんとかじった。


そこで、さっきから土方が一言も発していないことに気付いた。横目で見やると、カウンターに頬杖をついてぼんやりとカップの中身を見下ろしていた。スプーンはカウンターの上に無造作に転がっている。ちゃんとソーサーの上に置けよ、汚れるだろうが、と思いながら視線を上げると、端整な土方の横顔。


暇を持て余しているように見える。でも、物思いに耽っているようにも見える。口は真っ直ぐに引き結ばれていて、それは言葉を発するのを拒んでいるようにも見える。


役人としてはやっぱ、こういう話には口を挟みたくないんだろうか。元攘夷志士の昔話だもんな。


そういえば、こいつ等が江戸に上って来たのはいつ頃なんだろう。俺達がどんぱちやってた頃は、真選組はまだ無かったはずだ。ということは、攘夷戦争があった頃は、こいつ等はまだ田舎のゴロツキだったわけで。攘夷なんか、これっぽっちも関わりが無かったわけで。それでもやっぱり、何か思うところはあったんだろうか。白夜叉のことは知ってたんだろうか。馬鹿な奴だと思ってたのかな。それとも憧れて……いや、それはナイな。ナイナイ。


「坂田さんは」


突然マスターに名を呼ばれて、俺は慌てて土方から視線を外した。隣で土方も顔を上げた気配がした。


「坂田さんは、さっき自分のことを負け犬だとおっしゃいましたが」


マスターはそこで一呼吸おいて、少し照れ臭そうに続けた。


「あなたは今も昔も、私たちのヒーローですよ」


「………」


そのあまりに陳腐な台詞に、俺は照れることもツッコむことも忘れて、ぽかんと口を開けた。隣で土方がぶはっと噴き出す。我に返り、俺は慌てて不貞腐れた子供のように下唇を突きだした。それを見たマスターが、声を上げて笑う。土方もにやにやと口元が緩んだままだ。からかわれたような気がして、ますます面白くない。


「ヒーローは負けたりしねえよ」とわざと水をさすようなことを言ってやると、マスターは聞き分けのない子供に言い聞かせるように「完璧な人間なんていませんよ」と言った。それに、と続ける。


「私たちはあなたに救われました。あなたのような侍が味方にいると思うと、随分勇気づけられたものです。皆、あなたの話をしている時は、無垢な子供のように目を輝かせていましたよ」


まるで、大好きなヒーローについて話しているようでした。そう言って、マスターは笑った。金縁眼鏡の向こうで、三日月の形に瞳が細められる。優しげなその表情に、頑なだった俺の心がほろほろとほどけていくのを感じた。


「ヒーローとは、人を救う人のことを言うんです。あなたは立派なヒーローです」


「……そんなん言ってたら、そこら中にヒーローがゴロゴロいることになっちまうよ」


俺のこの一言は、最後の抵抗と言ってもよかった。でも、マスターはそんな抵抗なんのその。


「いいんじゃないですか、それでも」


と鉄板のいい人スマイルで難なくかわした。そして、拭きかけのマグカップを再び手に取りながら、こう言った。


「あなたが自分を責めるのは、お門違いというものですよ」
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ